我が家と、クルマ
我が家で最初に自動車運転免許証を取得したのは私の父である。
その父が初めて買った車が、我が家の初めてのクルマであるから、我が家のモーターリゼーションの歴史は、丸々父の車暦と重なる。 父は昭和19年生まれ、中学校卒業と同時に就職し、16歳から受験できた「三輪自動車免許」を取得。昭和37年に「普通自動車免許」を取得している。 しかしこの頃は中堅以上のサラリーマンでも、マイカーを持つことが出来なかった時代。もちろん我が家にも、マイカーなどというものはなかった。(でも牛は居た) 時期がはっきりとしないのだが、昭和40年代に入ってから、父とその弟が共同でホンダの自動二輪を購入。 その後、その自動二輪を下取りしてもらい、初めての四輪自動車としてやってきたのが初代トヨタカローラ1100。 以後我が家と自動車は切っても切れない関係、絶対必要な生活必需品として、歳月を共にしてゆく。 |
上記のとおり我が家の最初のマイカー。父とその弟Tさんの共同所有車であるが、先代のバイクも、このカローラも購入してきたのは弟Tさん。 父は選択については関与していなかったとのことで、カローラについて思い入れなり、好みがあったわけではないらしい。 中古で購入したものだが、購入時期や経緯は既に忘れたとのことで一切不明。 ついでながら、先代のバイクについても詳細不明。 昭和41年の登場後、最初のマイナーチェンジを受けた昭和43年頃のモデルだろうか。(グリルの網目模様が少し違う&カローラマークの地紋が青色) グレードは、リアタイヤホールの前にオーナメントが見えるので、2ドアデラックス、かな? トップの写真と一緒に写っているのは父の妹Tさん。 カラー写真は同じTさんと、父の姉の子2人。写真撮影から約40年、左の2人は既に孫持ち。 私が生まれる前年、昭和46年のスナップ写真。 | ||
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こちらは既に紹介したこともあるフェローMAX。昭和47年父が結婚したのと同時期に購入、カローラと違い父の単独所有である。 この時期に父は大阪へ転勤、新婚生活は大阪の会社社宅で始める事となる。その後長男の私が誕生、昭和50年あたりまで所有していた。 既に書いたことがあるので繰り返しになるが、色々と不調が多かったらしく、友人から「ボローマックス」とよくからかわれていたらしい。父がこのクルマの話をするときは、必ずこのフレーズが出てくる。 兵庫県の西端、中国自動車道沿いにある実家に帰省するときは、大阪吹田から福崎まで開業していた高速道路を使い、その後は下道をトコトコ走って帰っていたとか。 グレードは初期型のカスタム?(リアフェンダーのベンチルーバーに覆いがあるので・・・、資料少なし) 私が3歳くらいの時の写真だろうか、今の私はこのときの父の年齢を既に過ぎてしまっている。(ナニシテンダローネオレハ) | ||
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ダイハツコンソルテ1000スーパーデラックス 昭和47年式(以前の紹介記事・別窓) このコンソルテより私の記憶がはっきりとする。年式についても、グレードについても、この車についてはハッキリと判明しているのでキモチイイ。特に特徴のない、目立たずかわり映えのしない大衆車であるが、当時の私にとっては一番のお気に入りのクルマであった。 昭和50年頃、父が姫路に転勤となった時期に中古で購入、まもなく2人目の子供、私の弟が生まれている。 たまたま入った中古車屋で即決購入したとかで、やはり事前のコダワリなり好みがあって選択したわけではないらしい。 私は小さな頃から変なことに興味を持つ傾向があったようで、あるとき父に「前の持ち主はどんな人だったの?」と、かなりしつこく聞いた覚えがある。そのときの父の返答が「どっかの社長!」、適当な子供だましのデタラメだったのだろうが、私はひどく感心して、かなり長い間スゴーイと思い込んでいた。 助手席が私の指定席であったが、チャイルドシートはおろか、シートベルトの着用義務さえない頃であるから、よくダッシュボードにしがみつくようにして前を見ていたものである。 乗り換える直前の昭和56年、それまで免許を持っていなかった母が免許を取得することなり、練習に何度か同乗した覚えがある。姫路の埋立地だったと思うが、子供心にも初心者の運転とはずいぶん怖いものだと思ったことは覚えている。 代替で引き取られるとき、スクラップになるだろうと聞き、ひどく悲しかったことはよく覚えている。その後父が中古車屋で売られているのを見たと言っていたが、今考えると私が惜しがっていたのを見て、ウソを言ったのかもしれないと思い返している。 (昭和51年明け?〜昭和56年3月) | ||
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昭和56年、山間の僻地である父の実家に転居することなった。バスの便はあるものの、交通不便な土地で自動車は必須、子供二人が大きくなってきて2ドアのコンソルテでは不便だったことも有り、父はクルマを乗り換えることにする。 そうしてやってきたのが初めての新車トヨタコロナ。購入前にはカローラのカタログを見ていた記憶があったので、コロナが納車されたのには非常に驚いた。当時のカローラは4代目初期の丸目4灯式のモデル。このモデル、私にはリアトランクの張り出しが短くて、小さく貧弱なデザインに見えてあまり好きなクルマではなかった。 競合車はなかったように記憶しているが、アコードが前輪駆動で室内が広いけど(価格が)高いなあ、などと父が言っていたのを聞いた覚えがある。ホンダは鉄板がペコペコなどと言っていた時期もあり、トヨタに比べるとあまり良い印象を持っていなかったようである。 購入初期の頃は触媒の影響だろうか、排ガスに独特の臭いがあり、この臭いを嗅ぐとゲェッとえずきそうになることが有り、困ったものであった。この臭いを感じたのはエンジンの始動直後のみであり、また新車から何年か経つと全く平気になり感じなくなった。 メーターをひとまとめにした大きなメーターパネルは目新しかったし、トランクオープナや、ダッシュポケットや灰皿の夜間照明、後席の収納式アームレスト、カセットステレオなども初めての装備で、すごいなあと思ったものである。 免許取立てであった母が、パワステの威力に感心していたことや、父が営業マンから「OKモニター」の説明を熱心に聞いていたことなどもはっきりと覚えている。 そしてなにより嬉しかったのはエアコンの装備。これはエアコンなし車の時代を過ごしてきた人なら誰でも分かるはず、この当時はエアコンの装備率もあがり、装備車が珍しいという時代ではなくなっていたが、本当に嬉しかったものである。 当地は積雪地帯であるが、このコロナは後輪駆動の世代。冬になるとスパイクタイヤを履き、積雪があるとチェーンをはめて出かけていたのも懐かしい。 ほぼ無故障で走り続けてくれたクルマであるが、晩年は錆びの進行具合がすさまじく、ドアの下周り、トランクフードの縁あたりはグサグサという感じ。エンジン音はうるさく振動も大、キーを切った後もエンジンが回る「ランオン」とかいう症状が出るなど、まさにポンコツという感じであった。そのうち父はかつての愛車と同じく、自虐的に「ボロナ」などと呼び始める、私は私で時代遅れクルマという感じであまり興味の対象としては見なくなった。 それでも免許を取得する時期になると、このコロナでよく練習をしたものであったし、頻繁に洗車をし、色が剥がれた所をタッチアップしたり(サビの上からそのまま塗りたくるだけ)、オイル交換を自分でやってみたものである。 免許取立ての友人が練習させてほしいとのことで、助手席に同乗したことがあるが、クラッチのミートポイントが全く分からないと言われ、坂道発進でギブアップされたこともあった。 免許取得後は私がこのクルマを貰いうけ、父が新車を購入するという話もあったものの、結局私は軽自動車スバルレックスを購入、その後11年16万キロを走ったところで代替新車購入ということになり、我が家を去っていった。 私の10代の頃とほぼ一緒に過ごしてきたクルマということで、やはり別れ際には感傷的な気分になったものである。どうせスクラップになるということで、このクルマのゴム製フロアマットを貰い受けた。そのゴムマットは今でも私の車に敷いてある。(もうボロボロ) (昭和56年3月〜平成4年6月) | ||
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初めて新車コロナを11年間乗り続けた父が次に買ったクルマ。 この時点で私も免許を持っており、次期購入車の選択については意見具申を重ねたのだが、どれも一顧だにされず却下されてしまった。 まあアプローズ買えだの、レガシィを買えだのと勧めて見ても、そういったクルマの存在さえ知らない(興味のない)人には、まったくの戯言としか聞こえなかったのであろう。 コロナを買ったトヨペット店の営業担当者の誘いもあり、当時新型が出たばかりのコロナを見に行ったらしいが、後方視界が悪いことと、ズングリしたスタイルが気に入らなかったようで没。車格的にマークIIが気に入ったようで、最終的にマークIIと、ビスタ店のクレスタの何れかにすることとなり、最後はデザインの好みということでクレスタを購入することとなった。 最後になっても、クレスタスーパールーセントの「5MT」を買わせようなどと画策してはみたものの、悪巧みは成功せず、「クレスタ2000スーパールーセント AT スーパーホワイト」という、もっとも売れ筋の最もありふれたグレードになってしまったのが残念無念。 このクルマが来た時期から、私と弟は成人して自分のクルマで出かけることが殆どとなり、家族で父のクルマに乗って出かけるということも滅多になくなってしまった。だから私もこのクルマについてはさして思い入れも感じなかったし、興味についても殆ど持たなかった。 集中ドアロック、パワーウィンドーなども我が家では目新しい装備であったが、コロナの時のような新鮮な驚きはなかった。それだけ贅沢に鈍感になったということであろうか。 たまに運転をするときでも、自分のクルマとのフィーリングの違いでシックリこない感じを常に感じ、最後まであまり運転したいクルマではなかった。 違和感については以前にも書いたが、軽すぎるハンドルや、長い鼻先の取り回し、低い屋根で余裕のない居住性など。 その他では足踏式のパーキングブレーキもなかなか馴染めない装備であった、ブレーキリバースはダッシュボードに付いたノブを引くタイプのものであったが、リバース操作をしてからも何だか不安で、意味もなく何回もノブを引いてみる変な癖が付いてしまった。 これは父も同じだったようで、クルマが走り出してから意味もなくリバースノブを引いてみる光景を何度か見た。 それでもエンジンの滑らかさ、静かさについてはいつ乗っても感心したものである。父がそれまで吸っていたタバコをやめたことや、年少の子供を乗せる機会がなくなったこともあり、内装も常にキレイで、最後までシートのヤレた感じすら覚えなかった。 13年、16万キロを乗った時点で買い替え。以前のコロナとは違い、外観上のサビは全く見当たらず、故障はカセットステレオが一度不調になった位。まだまだいくらでも乗れそうな感じで、クルマの進歩に時代を感じさせられた。 81系クレスタについて、前回に続けてボロクソに書いてますが、私見であって、悪気があって書いているわけではないのであしからず。 むしろ異常なのは私の感覚のほうだと思います。本当はトヨタ車好きなんですよ、私、ホントに。 「あれ?、こんな時間に誰かが来たみたいだ・・・」 (平成4年6月〜平成17年1月) | ||
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| トヨタマークX 平成17年式 長年勤め上げた会社を定年退職した父が、リタイア後の足として購入したクレスタの後継車。 車種の選択については、今回私は一切進言せず。 本当はもう少し小さいクルマが良いんじゃなかろうかとも思ったのだが、父の勤め人人生成果の集大成、気に入ったクルマを買えば良いと思ったので、一切口出しはせず。(金も出せない) もっとも私が口出ししたところで、相手にしてもらえないということもあったのだが・・。 私は未だに自分の糊口をしのぐだけで精一杯、経済的には父の方が圧倒的な優位にあり、全く頭があがらんのですよ・・。 マークXが発表されたのと同時、平成16年秋に契約、納車されたのは翌平成17年1月だった。 父はあまり目立つことを好まないタイプだし、新型車は熟成されていないからと、わざわざモデル末期の物を購入したりする傾向があった。またクルマのデザインについても、端正な控えめなデザインを好む傾向があったので、今回のマークX購入という選択については意外な感じがした。 ボディカラーについても、ワインレッドにしようかなどと言っていたことがあり、これについては大賛成したのだが、ここまでは飛躍できず、無難なパールホワイトという選択となった。 クルマの詳細については触れますまい、とにかく静かで快適、運転フィーリングもクレスタとは段違いで、クレスタで感じたような違和感は感じず、なかなか運転も楽しい。 メチャ高の純正ナビも操作は容易だし、とみに運転技術が衰えた両親にとってバックモニターの存在は実にありがたい存在である。 ま、だいたいこんなところです。写真はいらんでしょう。 次に買い換えるとしたらまた10年後、まだガソリン車が走っている時代なのだろうか・・。 (平成17年1月〜現在) | ||
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