我が家と、単車

我が家と単車のつながりについて、最初に二輪に関係する免許をとったのはおそらく祖父。
残念ながらはっきりとした時期は不明であるが、昭和30年代半ばに原付免許を取得し、スズキの50ccを乗り回していた模様。

相前後して父も免許を取得、この免許が「三輪自動車免許」であったのだが、何の上位免許になるのかがいまひとつよく分からない。
原付は乗れていたと思うのだが、自動二輪について、軽自動車については乗れていたのかどうか、父の記憶は曖昧だし、webで調べてみてもよく分からない。
いずれにしても昭和37年には普通自動車免許を取得、当時の規定では普通免許で自動二輪に乗ることができたので、どんなバイクでも免許上では乗ることが出来るようになっている。(普通免許に二輪免許が付いてきたのは昭和40年まで)

写真は以前にも紹介した父の勤め先でのスナップ。
スズキコレダ125、近年まで販売していたスズキK125の初期モデルらしい。
単気筒なのにツインマフラーというふざけたオートバイであるが、素性はレーサーモデルのエンジンを基礎としたありがたいモデルであるとか。
父の職場ではホンダ、スズキ、ヤマハの125が使われていたそうで、職種転換をする昭和50年代まで、よくこの手の単車に乗っていたとのこと。

まだ若かりし頃、山奥の現場に行く際、このバイクに二人乗りしていったことがあるらしい。荷台に鉄の書類箱が載っている、この単車にである・・・。
高い鉄箱の上に同僚を座らせ、その同僚は運転手の頭を見下ろしながら乗っていたそうで、随分と無茶なことをしたものである。
もちろん不安定なことこの上なく、数百メートル走ったところで見事転倒、幸い怪我はなかったらしいが・・。
この他にも徹夜マージャン明けで乗っていて、無意識で数十メートル空走していたとか、会社のクルマをへこませ、慌てて板金工として勤めていた従兄弟に泣きついて直してもらったとか、この手のDQN武勇伝には事欠かない。
(一応フォローしておくと、父は昔話を面白可笑しく、ホラ混じりで話す傾向があり、この手の話もどこまで本当かどうか分からない。だからツーホーとかしないでね。はぁと)

昭和38年、年明けの写真。
写っているのは、右から父の弟と妹。オートバイは我が家のものではない。左端の人物がオートバイの持ち主なんだろうが、誰だか分からない。
背後のオートバイはホンダの自動二輪、250ccのドリームだろうか。二本出しのアップマフラーがなかなか大げさ。
昭和40年代に入り、父とこの写真に写っている弟Tさんとの共同で、オートバイを購入しているのだが、時期も車種も今となっては分からない。
写真も残っておらず、至極残念。
Tさんが一度バイクで事故をしており、このことから我が家では祖父が乗る原付バイク以外、オートバイは所有していない。
私が20代の頃、出し抜けに二輪免許を取ろうとしたことがあったが、父から「頼むからやめてくれ」などと言われたため、断念したことがあった。

スズキセルペットMD 50cc (以前の紹介記事・別窓

上で既にふれた、祖父が最初に買った原付オートバイ。
以前の紹介記事をご覧になった方から、車種をご教示いただいた。
なぜこのモデルを選んだのかは不明。
非力な50ccモデルであるが、自転車からの乗り換えということで、非常に重宝したらしい。
私が小学校に入る頃まで在り、何度か荷台に乗せてもらった記憶がある。私が初めて乗ったオートバイは恐らくコイツ。
最末期はあまり使っていなかったようだが、20年弱我が家で現役であった。

ホンダハミング 50cc

セルペットの後継として、同じ村のホンダ特約店「スズキモータース」より購入。
とにかくなーんにも付いていないバイクで、計器はスピードメーターのみ、距離計も警告灯も一切付いていなかったように思う。
2サイクルオイルの量も、サイトグラスから覗き見て確認するもので、細い骨組みと云い、ロードパルよりは少しましかな程度のイメージしか覚えていない。
祖父もこの単車に乗り換えてからは、村うちの町道、農道で乗るだけになり、流れの速い道路で走る機会は皆無となった。
私も免許をとって大っぴらに乗れる身分ではあったのだが、運転をした記憶が殆どない。今考えれば少し惜しい気もするが、当時の私には全く興味の対象として範囲外の存在であった。

ホンダパル 50cc

平成5年に前車と同じ「スズキモータース」から購入。
「PAL」の名が示すとおり、ロードパルのポジションを継ぐ廉価機種の様だが、前車のハミングよりはずっと豪華に使いやすくなっている。
購入時祖父は80代目前、まだ運転をさせて良い物か父も少し迷ったようだが、運転に関しては祖父はかなり慎重で、田んぼ道以外は走ることもなくなっていたので、まあ良かろうということで新車購入。
ただヘルメットはあまり被っていなかった模様、農道で駐在に逢うと、手を挙げて挨拶をしていたというから、なかなか図太い。
一度駐在が変わった際、免許拝見と来たらしいが、メットインスペースに入れっぱなしになっていた免許がこのときは見つからず、笑って(あきれて)放免してくれたとか。
それでも90代目前になった頃から不安を感じるようになったらしく、免許を自主返納してバイクを降りた。案外こういうところは潔く偉いものだと思う。
現役時、私も何度か村うちで乗り回したが、ハミングのときよりはましだけど、あまり快適とはいえない乗り心地であったので、あえてあまり使うこともなかった。
最後は祖父が使わなくなったことにより休眠状態であったが、友人が欲しいとのことで、その人に差し上げた。
唯一惜しかったのがナンバープレート、「あ」の400番台と非常に若い数字であるのだが、これは初代セルペットから引き継いできた歴史あるナンバープレート。ハミングからパルに乗り継いだときに気づいたのだが、私の町は代替の場合ナンバープレートをそのまま引き継ぐことになっていたらしい。町村合併でこの「○○町」という地名は過去のものになっているが、出来れば別のバイクにでも引き継げればよかったのになと思った。

ホンダスーパーカブ スタンダード50cc

平成6年頃、当時勤めていた会社の営業車として使っていたバイク。台数は5台か6台くらいだったろうか、全てスタンダードグレードの緑色、ほとんどが常時点灯モデルであったと思う。
当時私はカブに乗ったことがなく、「操作がわかりましぇん」というと笑われた記憶がある。それでも2分間講習を受けてからはバリバリのカブドライバー、ガラガラうるさいエンジンを聞きながら走り回っていたものである。
休日以外はほぼ毎日乗っていたので、エンジンはどんな寒い日でもキック一発。(たまに二発)
時々ガス欠をやったのと(しかもコックはリザーブ位置)、結構頻繁にパンクがあったことには閉口したが、燃費はよく、故障もしなかったことはさすがと感心したものである。スタンダードということで、ウィンカーブザーがなく、消し忘れを何度かやったこともあった。
かなりの距離を走ったはずだが、幹線道路にはなるべく出ず、旧道を選んで走っていた事も幸いしたのか、事故には遭わず済み、転倒経験もなかったことは幸いであった。
丁度スーパーカブの盗難事件が相次いでいたころで、田舎町にも関わらず気をつけるようにというお達しを聞いた記憶も懐かしい。
この会社はその後辞めてしまい、カブとも縁がなくなり、それ以後カブには乗っていない。

ホンダCD125T BENLY

長らくオートバイから離れていた私であるが、最近縁があり、自動二輪の小型限定免許(125cc迄乗れる)を取得、ホンダの125ccを購入した。
購入候補としてはCB125Tか、このCD125Tを考えていたのだが、丁度近隣の店舗で手ごろな売物があり、こちらを購入した。
免許もバイクも、会社の同僚にそそのかされてなんとなく取得したのだが、案外楽しいもので、休日にぶらりと走り回ったり、同僚としまなみ海道ツーリングに行ったりと楽しく乗っている。
警官が良く乗っているバイクということで、「オマワリが来たかと思った」、「心臓に悪い、付いてくるな」「ニセ警官」などと、友人うちでは評判がよろしくない。
これについては別に真似をしているわけではなく、非常に心外で不愉快に思っている。

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