
姫路モノレール 大将軍駅見学会 前編 |
2016年夏、姫路モノレールの「大将軍駅」と一体となっていた、「高尾アパート」の取り壊し決定に伴い、長らく閉鎖されたままであった駅舎部分を一般公開するというニュースが飛び込んできた。
姫路モノレールについては、当サイトでも何度もとりあげているとおり、姫路に縁の深い私にとって非常に関心の強い対象であり、子供の頃からなにかと興味をひく「不思議」の対象であった。
既に公開されている車両や、施設が保存されている手柄山駅のことについては、当サイトの別ページでも紹介済みで、詳しく紹介されているサイトも多数あるが、この「大将軍駅」については、廃止以来一度も公開されたことがないため、非常に限られたマニアの情報以外は全く知られておらず、私を含めマニアの人皆の関心の的であった。
建物全体の耐震性の担保が出来ないため、いずれ取り壊しという情報は早くから伝え聞いていたが、取り壊し前に一般公開という今回のニュースを聞いて、待ってましたとばかりに応募したわけである。 |
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予備知識までに、高尾アパートと大将軍駅について
高尾アパート
高尾アパート(たかおアパート)とは兵庫県姫路市高尾町に存在する公団住宅の名称。1966年に日本住宅公団によって建築された建物であり、それの1階から2階は商業施設が入り、3階から4階は姫路市営モノレールの大将軍駅が入り、5階から10階が賃貸住宅になるという珍しい形態であった。
だが、これに設置されている大将軍駅は最寄の姫路駅との距離が600メートルであることからモノレールを待つよりも歩いたほうが早かったことなどから、開業後2年で廃駅となった。都市再生機構は2013年に耐震上の理由から高尾アパートの解体を決めた。
Wikipediaより引用 |
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姫路市の見学会告知パンフレット。
告知の開始が7月の末、応募締め切りが8月5日と余裕がなく、私が応募したのも8月2日でギリギリであった。
特になにも考えず、当然参加できるものと考えて「やったやった、遂に駅が見られる」なんて軽い気持ちで応募したのだが、後から聞いてビックリ、定員400人に対してなんと4445人の応募があったんだとか。(産経新聞のWEBニュースから)
姫路市側は急遽枠を広げて700人にしたものの、それでも抽選倍率は6倍以上。
私は特にクジ運があるほうだとは思っていないが、無事に当選の連絡をもらうことができた。
本当になんとも幸運であったと思う。 |
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2016年8月13日土曜日、カンカン照りで暑い暑い夏の日の午後、最初で最後の「大将軍駅」の姿を見るべく現地にやってきた。
この界隈は日頃から何度もよく通りかかる場所であるが、山陽本線の高架化以降再開発が進み、以前のゴチャゴチャとした雑多な姿を知る者としては隔世の感がある。
度々モノレールのことを取り上げている私であるが、駅舎の入口がどこにあったのか、それすらハッキリとしたことをこの日の今まで知らなかった。
私が知っているモノレールの姿は廃止以後のうらぶれた廃墟としての姿のみであり、現役時代の姿を知らないから仕方がないことでもあるが、ネットでいくらでも情報が集められる現代なのにこの有様とは、それだけ出回っている情報が少ないということでもあると思う。
余計なお世話かもと思ったが、私の分かりにくい文章で説明しきる自信がないので、アンチョコではあるが写真に文字入れをした。
以降見学会の順路どおり、つまり入口から順に中を紹介できるよう、写真をならべてゆこうと思う。
コンデジで撮った、我ながら下手な写真で、編集していて自分でもヤになってきてしまったが、雰囲気だけでも味わってもらえれば幸いである。
高級カメラで撮れば良い写真が撮れるというわけでもないのが辛いとこ、技術云々はもちろん、センスが決定的にないんだと思う、トホホのホ。 |
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まずは1階入口から、入口はモノレール営業当時その物ではなく、10年ほど前まで営業していたビジネスホテルが使用していたもの。
どこまでがオリジナルなのか、どこからが後年のものなのかは不明。
見学会は時間割り当ての入替制で、この時は50人が一度に入り、30分間見学をした。 |
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上の写真の階段の途中、下から2階部分を望む。
ホテルが閉鎖されて以降は姫路市が物置として使っていた程度で、長年閉め切り状態であったとのこと。
カビくさいというか、粉っぽいというか、いかにも廃屋的な独特の臭いが漂う。 |
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2階から、1階エントランス側を望む。
壁の装飾や照明器具は間違いなく近年のもの、天井のクロスがハガレかけているところが年数を感じさせる。 |
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階段を上がりきったところはホールになっている、ガラス戸の向こうはホテルのフロントであった場所。
本命は左手に見える階段・・・。 |
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狭い入口を抜けたところから、一気に昭和の時代へタイムスリップ。
ホテル営業当時は無論使用されておらず、ここから先は駅廃止以来一般の眼に触れることがなかった場所。
長年閉め切られていた箇所なので、更に空気は悪くなった感じ。
階段踊り場に立っている保安の警備員はマスクをしている。
入口でマスクの配布サービスをしていたのだが、特に必要ないと思ったので貰わずにいた、貰っておけばよかったかも。 |
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警備員さんが立っている踊り場から横手に、小部屋が設けられていた。
立ち入り禁止ながら扉は開いていたので覗いてみると、職員の休憩室だったのか小さな流し台が置かれていた。
流しの上の水屋は、いかにも昭和30年代40年代的な、見るからに安っぽい合板製であるところが懐かしい。 |
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踊り場から左側を見ると、かねてから存在は知られていたエスカレーター。
真ん中に吊天井の天板部分が見えるが、これは最初に紹介した1階から2階に上がる階段室の天井。
後年に追加されたビジネスホテル時代のもの。 |
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踊り場からさらに上を見る。
いかにも月並みな言葉しか出ないが、レトロ感がたまらない。
階段のコンクリートは、50年という経年が信じられない、すべすべとしたキレイな表面をしていたのが印象的、冷暗所での保管が功を奏したか?
もとより人の出入りがなく、痛みがすくなかったこともあろうが。 |
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階段を登りきったところ、もう一段階段を上がった左上が駅ホームがある4階部分への入口。
この場所は建物の階数でいうと、3.5階に相当する場所。
階段の折り返しの関係でそうなったものらしく、4階へ向かう階段は短い。
建物の北手と東手はガラス張りの窓になっているのだが、ご覧の通り外からふさがれていて真っ暗け。(この写真で見えているガラス窓が北手)
外から見た写真で説明すると、この位置の概略は右の写真のとおり。
階段室の部分は隈なくサイディング材が貼りこめられている、だから真っ暗けっけなのである。
サイディングの施工がいつの頃なのかは分からないが、時期的に比較的近年のような気もする(平成以降?)
ガラス窓は見ての通り鉄枠の古めかしいものであるので、外からの美観対策や、ガラスの破損防止の意味があるのだろう。 |
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上の写真、3.5階の踊り場から下方向(2階側)を見る。
途中の踊り場左手が先ほどの流し台があった部屋。
ずーっと下の方、蛍光灯の青白い光が見える入口が2階のフロア。
ご覧のとおり1.5階分の高さを稼ぐ階段は長く、階段の傾斜も結構きつめ。
左手、外光が差し込んで明るい部分は・・・。 |
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3階に相当する軌道の路盤部分。 |
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3.5階部分の踊り場に戻り、短い階段を登りきって4階入口部分に立つ。
正面窓ガラスが建物東側にあたる。
右男性が立っている箇所が下から登ってきた階段部分、天井が高く広々とした立派なスペースである。
左側、見物の人だかりが出来ている部分がエスカレーターの上側終点。 |
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4階からエスカレーターの上側終点部分を望む。
基点姫路駅にも、終点手柄山駅にも装備されていなかった贅沢品であり、地方都市の建築物としては破格の扱いである。
おそらく目玉商品的な存在として採用したのであろうが、前述のとおり当駅は利用客が延びず2年で廃止されており、その価値がなかったことは全くもって明らか。
あまり辛口なことはいいたくないが、やはり見通しの甘さがあったのだと思う。 |
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真下を見下ろす。
エスカレーター部分の立ち入りは禁止で、下側の出入り口も公開されなかったので下側の現状は分からない。
装置全体がホコリや汚れで真っ白に変色してしまっている。
幅は狭く小型のものではあるみたい。
従来「大将軍駅のエスカレーター」としてネット上に出回っている写真が一枚あるが、この写真では下から見て左に階段、右にエスカレーターが隣り合って配置されている。
つまりその写真に写っているエスカレーターは、ここにあるエスカレーターとは違う。 |
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ここからは私の妄想というか、お遊び半分のコーナー、話半分程度でご覧頂きたい。
私の推測であるが、今回公開された2階から3.5階までのエスカレーターのほかに、1階から2階に上がる部分にもエスカレーターがあったのではないか、ネットの写真はそれを撮影したのではないかと思う。
ネットの写真と、駅エントランス部分の写真を見比べると、上の写真、水色の線で記した位置にエスカレーターを配すると、写真と位置関係がよく似ている。
当日、施設のこの部分は閉鎖されていて、中の様子は分からなかったが、あるいは今でもエスカレーターが残っていたりして・・。(あくまでまゆつば、妄想ですからね) |
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私が想像した階段室の配置図。
キミドリ色が階段、水色がエスカレーター、この配置なら理にかなうような気もするのだが、いかがなものか。
1階からのエスカレーターのことはともかく、階段室自体は1階から4階まで吹き抜けであったことは想像できる。
非常に贅沢な重厚なつくりだと思う。 |
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本題に戻り、3.5階踊り場 & エスカレーター上側終点部分から、先ほどの4階ホーム部分を望む。
南側に窓ガラスはないが、ボードで隙間なくふさがれてしまっている。
この向こうにはホームが有り、営業当時は吹き抜けだったのだろうと思う。
さていよいよホームへ向かいましょうぞ。 |
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