姫路モノレール 大将軍駅見学会 後編
ここからは建物4階部分にあたるホーム(駅舎部分)の紹介。
これ以降の部分については、以前からネット上にいくらかの写真が流れており、ここをご覧になっている方も既知の部分が多いと思う。

一枚目の写真は階段を登りきって最初に眼に入る改札口の部分。
ネット上の写真では鳩のフンだらけになっていた場所だが、事前に清掃をしていただいたそうで床面は非常にきれいな状態であった。

枡が二つもある立派な改札口、枡もステンレスの実用一点張りのものではなく、鋼管を曲げ接けした簡素なものでもない、凝った造りのもの。
他所のサイトを見て、なるほどと思ったのだが、乗客の通り道に貼られている波模様の床板は、波目で流れの方向を示しているらしい。すごい観察眼だ。

右手にカメラを振ると、2つ並んだ券売口。
私の世代なら姫路駅のような大きな駅でも、国鉄線はこのような窓口で切符を買っていたものである。
山陽電車は比較的早くから券売機があったようで、窓口で買った記憶はない。
話がずれた。

窓口上に貼られた案内板、右は時刻表で、左は運賃表だったかな。(興奮気味でよく見ていなかった)
直接風雨にさらされる箇所ではないものの、50年近い年月は過酷なものであったらしく、書き文字の脱落が激しくてはっきりと判読できなかった。

ついたての透明版に丸く開いた部分(声を通す箇所)が脱落しており、そこから窓口内部を覗き込む。
鳩の格好の住処となっているらしく、おそろしいまでのフンだらけの状態。(清掃をこころみたような痕跡あり)
作り付けの机と、抜き出された引き出し以外にめぼしいものは見当たらず、当時をしのばせるものは何も残っていなかった。

机の上の白い物体は鳩の卵。

改札口を抜けてふりかえって一枚。
奥の引き戸が階段室へとつながる入口であるが、これはあきらかに後年作られたもの。
壁自体が後年のものだと思うのだが如何なものか。

改札を抜けたところに、もう一つ小さな窓口、火災報知器と、小さな手洗い器が見える。
窓口には「精算口」の表示があるが、どれだけの利用があったものやら、法律かなんかで設置が必要だったのかしらん。

いよいよ本命のホームへ。
皆関心の先は同じで、ほぼ全員がホームに出たのでご覧の通りプチ混雑。
右手に出来ている人だかりの先には・・・。

大将軍駅の駅名票。
これはビル敷地の外からも見ることが出来たため、遠目で見たことがある、撮影したという人も多い。

これまで「大将軍駅」といえば、ビル全体の外観か、遠目で見えるこの駅名票でしかその姿を知ることが出来なかっただけに、間近で見るこの駅名票に感慨を覚えた人も多かったのでは。

同型の駅名票と、手書き文字の大型駅名票。
この二点は早くから取り外され、手柄山のモノレール展示館でも当初から展示されていたもの。
里帰りといったところか、でも里帰りもこれが最後。

姫路駅側(東方向)のホーム端を望む。
ビルを出た時点から軌道は撤去済み、長年その姿を晒し続けていた軌道跡だが、ここ10年ほどで一気に撤去が進んだ印象がある。

軌道はホームの端っこ近くから、南寄りに緩やかにカーブを描いている。
建物全体の写真を見てもらえれば分かるが、建物全体がこのカーブにあわせて湾曲した格好となっている。

建物全体を曲げずとも、軌道だけを曲げればイインデナイノとか思うのだが、技術的に如何なものなのか、それとも美学的な根拠があるのかどうか、無学な私にはよく分からない。

手柄山駅方面(西方向)を望む。
ビルの全幅とほぼ同じ長さのホームは結構長い、最大4両連結で運転したというからそれ相当の長さが必要だったのだろう。
大きな開口部から吹き込む風が涼やかで、実に気持ちが良い。

手柄山駅側のホーム終端部分。
右手に見えるのは非常階段部分。

またしても余計なお世話と思いつつ、現役当時の軌道位置を概略で記入した。(橋脚部分のみ2本写っている)
姫路駅から当駅まで西進してきた軌道は、ここから大きくカーブを描いて南方向へと向きを変える。
右方向(北手方向)へ同様のカーブを描いて別線を延伸する構想があったらしいが、具体化することもなく潰えている。
この辺は詳しく調査されているサイトがあるのでご参考まで。

駅を出た直後に幹線道路である「産業道路」と交差するが、道路との交差部分は早い段階(平成3年頃だったか)で取り外されてしまい、私も写真は撮っていない。
その下は何度もクルマで通っていたのだが、当時の道路はJRを跨ぐ橋の始まりの部分になるため道路自体の高さが有り、モノレール軌道との高さ距離が少なく圧迫感を感じたものである。

非常口部分、ここもビル外部から様子がうかがえた数少ない箇所であった。

ホームから軌道を見下ろす。

縞模様の滑り止めゴム板は建設当時のものだろう、50年からの時間を耐えて今でも剥がれ落ちずに頑張っている。

軌道の手前側面に、電気を通した第三軌条が有り(地下鉄などと同じ)、ホーム内では黄色い保護板が取り付けられている。
手柄山駅のホーム内でも同様に保護板が取り付けられているが、姫路駅と手柄山駅ではホームと反対側に通電レールが取り付けられているので、ホーム側に通電レールがある大将軍駅は転落事故時のリスクが高い。
だからどうということないんだけど。

時間と共に見学者の位置も分散し、先に退場した人も居たようで、ホームの人影もすくなくなった。
天井の蛍光灯はランプが殆ど失われていたが、管球が残っている箇所もあり廃止時に撤去はされていなかった模様。
安定器はPCBが入ってるタイプかなぁ。

ホームの改札よりにトイレ有り。
ベニアでふさがれており、中の様子は見えず、すきまから僅かにタイル貼りの壁が見えた。
表示板にはお手洗いとか書かず「便所」(TOILET)と男らしい表記。

無骨で太いホームの柱。
この時代は細い板材で型枠を作っていたらしく、縦に板材の筋が何本も残っている。
同様の模様は手柄山の建築物でもよく見られたもので、歴史を感じさせる。

耐震で問題とされたのはこの駅舎部分の強度だそうで、ホームを設けるための開口部の大きさが仇となったのだろう。
高尾アパートと、大将軍駅は、成り立ちから取り壊し理由に至るまで、最初から最後まで一心同体だったということになる。

名残惜しく最後の一枚。
ホームと軌道、天井の蛍光灯の列までゆるやかにカーブを描いている様が印象深い。

見学会を終えて再び全体を見上げる。
大げさかもしれないが、長年興味を持ちながら見ることもかなわなかった場所に入ることができて、感慨深かった。
このような機会をもうけてくれた姫路市に感謝。

階下の道路からホームを見上げて一枚。
先ほど間近で見た駅名票が遠目に見える、建物の解体工事は程なく始まるそうで、これでホントに最後。

南へ下がって遠景。
本当にこのあたりは変わってしまい、昔の面影が全く分からなくなってしまった。
右に見える玉垣は・・・。

大将軍駅の由来ともなった大将軍神社。
大将軍というのは当地の地名であり、その由来は陰陽道の神様からきているらしい。

高尾アパートという名前が示すとおり、ビル・駅建物の正確な所在地は「姫路市高尾町」であり、「高尾駅」としてもよかったと思うのだが、そこらへんの経緯はよく分からない。
山陽本線が高架化されるまでは、ここに線路を跨ぐ道路橋が有り、「大将軍橋」と呼ばれていた。(将軍橋と呼ぶ人もいたと思う)
その橋を含め、一般の知名度からそう名づけたのかもしれない。

おまけ

高尾アパートの前(駅入口の前)にあった円形の花壇。
円周の縁に段がつけてあり、ベンチとして使えるようになっている。
この場所も資材置き場となるそうで、程なく姿を消すことになりそう。

私が矢印をつけたのはコンクリートがはがれ落ちたベンチ部分の造り。
別に文句を言うとか責めるとかではなくて、昔の手柄山でもこんな風になっている箇所をよく見かけたもので、なんとなく懐かしかったり面白かったり、同じ時代のものなんだなと思った。

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