これまでこれから
私が「みささみまさかのHP」としてサイトを開設したのが、1999年4月のことであるから、それから早20年の時が経ってしまった。
途中閉鎖したり、放置していた期間もかなりあるので、正味の20年とは言いがたいのだが、やはり感慨深いものがある。
月並みな表現だが、この20年、本当に色んなことがあったなと思う。

この20年の社会、世相、経済といったレベルの高い話はさておき、私のオツムレベルベースのお話、サイト創設以来、出し物の中心であった「草ヒロ」について、私の草ヒロ探検事情などについて、ちょいと語ってみよう。

これまでにも書いた内容とダブル箇所もあるが、そこはそれ、テキトーに飛ばし読みしてもらえればと思う。
あまりにも飛ばしすぎて、オールスルーされてしまうのはチト悲しいが。

サイト創設期、ネタ探しの為、私の足となってくれたのは愛車であるクルマ達であった。
それは、インプレッサリトナであったり、アトレーであったりと、その時期に所有していた四輪車がそれであったのだが、勤め先の社用車で、社用の道すがら写真を撮ったことも少なくなかった。

30歳代半ばの時、なんとなく自動二輪の免許(但し125ccまでの小型限定)を取得して、ホンダベンリイCD125Tを購入。
その後、写真にも写っているホンダCB125Tを購入して、四輪一台と、二輪二台を所有していた時期があった。

普段使いをする四輪車はともかく、休日にしか乗らないバイクを二台も所有するのはバカバカしくもあったのだが、CBとCD、いずれも独自の魅力を持っていて、二台共に大事にしていた。
特にCB125Tでは、あちこちツーリングに出かけた楽しい思い出があるのだが、多忙であまり乗らなくなったのを機に放してしまった。
今考えても惜しいことをしたと思うのだが、最初から飽きたときには手放すと決めていたので、まあ仕方がないかと思う。

写真は瀬戸内の某島で見かけたハイゼット55ワイドの廃車体と、CB125T。
農道や、行き止まりかなと思われるような細い道でも、遠慮なく入っていける二輪の機動性は大変重宝した。

こちらはホンダベンリイCD125T。
前述のとおりCB125Tと並行して保有しており、こちらは今でも手元にある。
そろそろ手放してもいいかなと思っているのだが、愛着もあるのでなかなか踏ん切りがつかずに困っている。

いわゆる実用車なので、低速や市街地での使い勝手は優秀なのだが、郊外ツーリングのような用途になると、CB125Tよりもワンランク快適性は劣る。
購入当初はしまなみ海道や、淡路島一周などに駆り出していたが、CB125Tと並行所有していた時期は、CB125Tばかり乗っていて、CDは近場でしか使用していなかった。

写真は「近場」で撮影したオールドホンダ同士のスナップ。
CDは1950年代にまで源流をさかのぼれる古いモデルであるが、改良変更を繰り返して、2000年代初頭まで生産が続いていた人気モデル。
私が所有するのは、1990年代末期のモデルかと思われる。

ブルブル汗をかきながらランニングをする人や、見るからに危険な磯場で釣りをする人を見て、もの好きだなぁと思うことがあるが、「草ヒロ趣味」というのも、世間の人(?)が思うほど楽ではない。

写真の草ヒロ スバルR−2 は、国道から遠目に確認したあとクルマを寄せようとしたのだが、車道は途中で途切れ、朝露にぬれた草地を延々と歩いて接近する羽目となった。(写真、赤矢印の愛車からここまで歩いてきた)

このときは上物ゲットでご機嫌だったのだが、クルマに戻ってみると、靴はぐしょ濡れ、スボンはひざまでびしょ濡れと、代償もなかなかのものだった。

それでも接近できるものであればまだマシ。
道路から見えるものの、ひたすら荒地や雑草地が続いて近づけそうにないものだとか、道路はあるけど経路が分からない、それこそ迷路の様な農道もあるので、なかなか一筋縄ではいかない。

写真の個体は難易度低めと踏んでかかり、収穫は出来たのものの、帰り道で泥濘に足をとられて見事に陥落。
泥だらけになった靴を小川でゆすぐ羽目になった。
水溜りにはまる程度の失敗も含めると、この手合いには何度もひっかかっている。

他にも夏草ボーボー、草いきれの中を強行踏破したりお馬鹿で無理なことをやったことも度々あった。
いやはや、あの頃ボクは若かった。

水はけの悪い荒地におかれていたバイオレット。
ごらんの通り水溜りだらけで接近が難しいパターンだったのだが、クルマに積んでいたゴム長靴を履いて接近、あっさりと撮影成功したご機嫌パターン。
ゴム長の準備はたまたま仕事で使うためであって、草ヒロ撮影の為ではなかったんだがね。

この写真は2000年初め頃に撮った初期のデジカメ写真。
初めてのデジカメは1999年秋に買った、サンヨーDSC−SX150(150万画素)。
現像せずとも、すぐに画像を使えるという利便性と経済性は、今思っても革命的でしたな。

私の初期のデジカメ作品について、「・・頃撮影」という表現が他のページにもあるが、これは私がデジカメの日付設定をしていなかったため。
そもそも日付設定がデータとして残っているという概念が無かったために、設定もせず、撮影データに日付が残っていない状態が延々と続いていた。
お馬鹿だねぇ。

2000年代中盤くらいからであろうか、目だって草ヒロの姿が少なくなってきたような気がする。
言うまでもなく、金属価格の高騰や、廃車の取扱いの厳格化が原因であるのだが、数がすくなくなっても、絶滅したわけではないので、草ヒロ趣味は絶えたわけではない。

私はといえば、相変わらず廃車体を見つけてはクルマをとめる、カメラで撮るというパターンを繰り返している。
それでも以前ほど目の色を変えて、鵜の目鷹の目で探し回るみたいなことはしなくなったかな。

写真は昨年末に撮影した、今一番ナウな作品。


2008年12月

2018年12月
上の写真の別アングル、クルマはミツビシミニキャブワイド55。
実は以前に撮影したものと同じ個体で、丁度10年目の再会となる。
当時から相当な痛みが出ていたのだが、今も形はかろうじてとどめていた。
手前に写る樹木が太くなっているところに、時の経過を感じていただけるだろうか。

くの字に折れ曲がっていたスライドドアは崩壊、朽ち果てたリアハッチは、残骸だけがかろうじてダンパーで吊り下がっていた。

このクルマに再会したのは企図したことではなく、たまたまその方面に行ったから、そういえば残ってるかな、といった感じで行って見たらちゃんと残っていて、懐かしく思いながら撮影したもの。
準備していかなかったので、対比できるように同じアングルから撮影できたものが少なかったのが心残り。

さて10年後にもう一度訪ねてみようか・・・。

(2019.3.27)

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