衛生車
70年代生まれの私が子供の頃、トイレの水洗化率はまだまだ低く、特に田舎のトイレといえば、非水洗の汲み取り式が当然であった。
下水道が整備された地域でも、従来のまま非水洗のトイレを使っている住まいも多かったもので、姫路に住んでいた頃、自宅のアパート(鉄筋造りの社宅)、そして学校のトイレは水洗式であったが、その周りの家は水洗であったりなかったりで、バキュームカーが汲み取りにくる光景も、さほど珍しいものではなかった。

1981年父の実家である田舎の町に引っ越したのだが、この頃は下水道が整備されておらず、トイレといえば当たり前に非水洗であった。
実家のトイレは戦前に建てた古い家で、便槽は浅く小さなもので、頻繁に汲み取りをしなければならず、バキュームカーを使うような代物ではなかった。
元々農家であったので、下肥として自家利用することが前提となっていたのだと思う。
祖父が肥え柄杓で桶に汲み取り、天秤で調子を取りながらエッホエッホと運んでいた状況が思い出される。

小学校のトイレは人数が多い分、タンクは大きく深いもので、こちらはバキュームカーが度々やってきて汲み取りをしていた。
バキュームカーで検索してもらえば分かるが、この当時のバキュームカーはタンク内の空気をそのまま放出しているため、悪臭が漂う欠点があった。
子供のことなので、露骨に鼻をつまんだり、逃げたりしたものだが、ゴボゴボ動くホースであるとか、けたたましいエンジンの音であるとか、動力リールにホースが引き込まれていく様子であるとか、好奇心をそそる存在でもあり、そばに寄って観察してみたこともある。
吸い込みの最後に、バケツで清水とテニスボール(ソフトボールだったか?)を流し込み、吸い込みホースの先端にすいつけてフタをする様子をいまでも覚えている。

そういえば写真の説明を一文字たりともしていないな。

タンクには「積載物 糞尿」というおなじみの表示が残る。
ナンバープレートは下半分が酷く錆びていて、四分の一くらいは朽ちて判別できなくなっていた。
ウネウネとホースが巻きつけられているが、タンク上の円筒状の巻き取り装置は機能していない?

子供の頃を含め私の記憶にある限り、現役で三輪のバキュームカーを見たことはない。
以前オールドタイマーで紹介されていたが、広島ではマツダ車が今なお現役だとのこと。平成初頭まで大阪や和歌山などでも現役のものが居たらしいが、さすがに引退しているだろう。
この個体はどこで活躍して、どのように流れてきたのだろうか。

自然の痛みがあるものの、比較的キレイに残る大阪城エンブレム。

開きっぱなしであった運転席ドアから車内を見る。
実にシンプルな構成であるが、ドア内張りのスパルタンな感じには全くしびれる。
運転席・助手席共にドアガラスが無かったように思う、ダイハツの三輪はドアガラスに樹脂製のものを使っていたはずで、劣化で真っ白に曇ってしまったのものを何度か見たことがある。
ウィンカーレバーにキーが下がっているが、自走は無理そうに見えたので、盗まれる心配も無いよということか。
左下のレバーは、PTOの切り替えレバーでしょうな。

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