にっぽんふぉーど
前回のフェスティバに続いて、広島フォードの紹介。
マツダ車にフォードのバッジを取り付けて販売するという、「オートラマ」店の展開が始まったのは1982年(昭和57年)から。
従来の自動車ディーラーの形から外れた、ユニークな運営形態をとっており、異業種から販売網参加が相次いだという。(そこらへんはWikipeiの記事が詳しい)

初期の取り扱い車種はレーザー(ファミリア)、テルスター(カペラ)、スペクトロン(ボンゴ)。
商用車ではJ80(ボンゴ)と、J100(ボンゴブローニー)のトラックとバンがあり、専売モデルであったフェスティバが登場するのはもうちょっと後のこと。

トップの写真はフォードJ100トラック。
以前勤めていた会社の社用車で、自宅近くの会社に納品の機会があって、時々自宅まで乗って帰っていた。
最初に乗って帰ってきたとき、フォードのマークを見た母が「これ外車かね?」と聞いたことを覚えている。
一般の人の感覚なんてそんなものだろうなと思う。
私だってフェスティバのことを「アメ車」だと思っていた時期が有り、一笑に付して、ウンチクを語るような資格もないのであった。

何年式だったのかは忘れたが、ディーゼルエンジンの結構なロートルで、振動も凄けりゃ、あちこちから聞こえるキシミ音も酷い代物だった。
とにかくパワーがなくて、荷を載せて挑む峠道では、かなり前から助走距離を見越して、勢いをつけてから登り始める始末で、なんとか3速で登りきったときにはホッとしたものであった。(2速に落としたら負け)
それでも後ろには車列が出来るし、黒煙は吐くし、道を譲れば再加速もままならないということで、何度も冷や汗をかいたものである。
積載量表示の記憶が無いが、多分1.5トンあたりだったはずなので、若干過積載気味だったような気もする。

パワーゲート(動力付きの昇降台)が付いていたので、フォークリフトのないこの会社では重宝されていたが、昇降装置はワイヤー駆動のもので、メンテされていたのか否か少しサビ気味で、あまり気持ちのよいものではなかった。

AMラジオが付いていたが、しばらく使っていると音が段々と小さくなり、フェードアウトするという悪癖があった。
ダッシュボードをガンガンどつきまわすと、ワーッという感じが音がよみがえるのだが、なんとも昭和的な香りのする代物であった。

なんだかボロっちい思い出しかないな。
まあ実際にボロだったとは思うが。

実にシンプルな内外装にあって、唯一の装飾品が左ドアに貼られたJ100のマーク。
右ドアには貼られていない、片方だけで十分というところか。

こちらはショートボディのJ80。
よくよく見比べてみたのだが、フロントマスクのデザインはJ100・J80で共通の模様。
フォードマークの付いたセンターのガーニッシュのみ、ボルトの隠しフタの有無があるが、それがJ80とJ100で使い分けているのか、年式による改変の違いなのかは分からない。

大分色落ちしてしまっているが、リアパネルの左に「ジャスコ」のマークが入った、ジャスコの社用車。
私の子供の頃には、このマークの大看板が店舗に架かっていたこともあり、なんとも懐かしい。

前回のフェスティバのページでも触れたが、姫路地区ではジャスコ(イオン)資本の入ったオートラマ販売店が展開しており、ジャスコの社用車にフォードが使われているケースをよく見かけた。

オマケ
最終型フォードレーザーの写真も載せておこう。
歴代レーザーの写真でも撮っていれば、まとめて紹介の機会もあろうけれども、そんなストックもないので、全く関係もないけどついでのオマケで載せておく。

元々本家よりも販売台数が少ないうえに、ファミリアよりも一足先に先に消滅したため販売期間が短いことも相まって、見かけることも少なかったように思う。

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(2018.4.1)