フェスティバ
フォードのバッジをつけて販売された日本車。(マツダ製)
登場は1986年(昭和61年)、当時の私はアメリカ製のクルマだと思い込んでおり、またそのように思っていた人も多かったのではないかと思う。
フォードのマークが付いていたことが、イメージに直結していたことには間違いないが、姿格好からしてバタ臭いというか、どことなく日本車的ではないなと思わせるところもあったのだろうと思う。

写真のクルマは昭和末期から平成前後にかけて採用例の多かったキャンバストップモデル。
明確な資料が見つけられなかったが、プチブームを起こした先駆けではなかったかと思う。

マツダが開発したフェスティバは、韓国のキアでも生産されていたが、日本製にはない5ドアハッチバックとセダン、5ドアワゴンなどのバリエーションを持っていた。
このうち5ドアハッチバックとセダンは日本にも輸入されて、通常モデルと同じオートラマディーラーで販売された。
導入されたのはモデルも末期となった平成に入ってからで、エキゾチックなイメージを期待したのか否か、いずれも左ハンドル仕様であった。(そもそも右ハンドルモデルがなかったのかも)
販売実績は芳しくなかったらしく、根強い人気を保っていた通常モデルに対して、殆ど姿を見ることは無かった。

写真はフェスティバ5、写真では分かりにくいが前述のとおり左ハンドルの外車となる。

こちらは4ドアセダンのフェスティバβ(ベータ)、やはりこちらも左ハンドルモデル。
5ドアよりも更に販売は少なかったらしく、実車を見かけたのは極数回程度じゃなかったかと思う。
同時期のシャレードソシアルや、カルタスエスティームと同じく、ベースモデルにトランク部分をくっつけたような姿で、3ドア車を見慣れた目には、お世辞にもカッコイイとは言いがたいモデルであった。

フォードマークということも有って、ちょっとお洒落な感じが受けていた初代モデルは7年近くも生産が続き、1993年(平成5年)にモデルチェンジを実施。
これが見事な失敗作であり、せっかく培ってきたフォードブランドのコンパクトのイメージも失速してしまう。
なんていうのかな、個人的なイメージで言えば、安物なのに安物感を感じさせにくかった初代に対して、2代目は安物といった感じが表に出すぎてしまったのかな、とか。
まあトーシロの戯言なので好き勝手言っているけど、あながち的外れでもないような気もする。

いかにも腰高な感じがするリアスタイル。
初代は断崖絶壁と言った感じで(オオゲサ)、スパッと落とされたリアエンドが特徴的で有ったが、こちらは反動なのか新鮮味を追究したのか大きく寝かせたウィンドウが印象的。
ただ全長が短いコンパクトカーなので、寸詰まりといった印象が先行してしまったキライがある。

2代目フェスティバと同時期のフォードレーザー。
特に関係はないが、デザイン的に似た印象をもったので載せておく。

寄り道ついでに、レーザーとボディを共有するファミリアの3ドアモデル、ファミリアNEOも載せておく。
ファミリアの3ドアモデルといえば、本来売れ筋の基幹モデルであったのだが、このデザインが不評で深刻な販売不振に陥ってしまう。
そのため従来型にも似た、オーソドックスなハッチバックモデルを急遽仕立て上げて販売するなど、混乱が見られた。

ついでのついででフロントマスクも載せておこう。
それぞれ同じボディを使いながら、違いと個性を出そうと苦心した痕跡が認められる。

ファミリアNEOは海外では好評だったというが、日本では不評であった。
この時期のマツダはバブル期の混乱を引きずっていた時期で有り、弱り目に祟り目みたいな出来事が多かったような気がする。

2代目フェスティバが失敗作に終わったダメージは大きく、オートラマ店専売であったフェスティバの独自モデルは2代目限りで消滅。
初代マツダデミオのOEMモデルであるフェスティバミニワゴンが後継モデルとなる。

1994年(平成6年)には「オートラマ」というディーラーブランドも、「フォード」店に変更されており、販売主力を輸入車へとシフトしてOEM販売を縮小するという施策もあって、2002年にはひっそりとフェスティバの名前も消えた。

写真はフェスティバの際末期モデル、手持ちにあまりいい写真がなかったのでこれでご勘弁。
フォードのマークがついている以外は、グリルデザインが若干異なる程度で、デミオとの区別化は殆ど見られない。

オートラマのディーラー網を改組したフォードジャパンは、欧州フォードも含む輸入車販売店へと変更。
その後販売不振からフォードジャパンが撤退したため、ディーラーブランドとしては消滅してしまった。

写真はフォードジャパン時代の「フォード姫路」在りし日の姿。
ジャスコ(イオン)の資本が入った、ジャスコカーライフの店舗を前進としており、当地ではジャスコの店舗でフォード車(OEM時代)の展示会などもよく行っていたものである。

ちなみにイオンといえば、岡田くんの四日市のイメージが強いように思うのだが、「岡田屋」とともに、姫路の「フタギ」もそのルーツにあるのだよ。
忘れちゃイヤン。

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(2018.3.4)