ぐっどばいぐっどばいぐっどばいばい
2000年(平成12年)に購入以来、長らく家族の共有車として活躍してきてくれた「ダイハツアトレーCLターボ 4WD」を、先日廃車にした。
新車導入以来指折り数えて14年、大きな故障もなく10万キロ弱(97000km)を走破し、家族の足として大活躍してくれた。

別のページでも紹介済みであるが、最初の1年は主に私が使用し、その後は私の両親が主として使用していた。
弟が結婚して子供が出来てからは、何かと送迎をすることが多く、祖父母が老齢で調子を崩すことが多くなってからは、またその送迎車として頻繁に使用することになる。
そういった用途としての使い勝手は非常に良く、後席のスペースは広大で、屋根も高く、リクライニングもOK、車椅子や子供用の自転車もポンと乗せられる便利さは本当に重宝した。
反面、腰高で走行安定性や乗り心地はイマイチ、セミキャブスタイルの前席は窮屈で、薄いエンジントルクは市街地での発進が面倒で苦労した。
ある程度回転が上がれば、ターボの恩恵で力強い走りが得られたが、燃費はあまりよくなかったはず(私の手を離れてからはこわくて計っていない・・)

白いハイゼットトラックはかつての我が家の愛車。
こちらは14年と半年程使用したので、アトレーよりも僅かに長命だったことになる。

水色のハイゼット55ワイドは、出先で見かけた一台。
アトレーを購入した2000年頃の撮影だったと思うが、S38系のハイゼット(コワイ顔のハイゼット)に比べると現存数が少なく、当時でもあまり生き残りを見ることは無かったように思う。

1999年の登場当時、アトレーで圧倒的人気を誇っていたのはアメリカンスタイル(?)のカスタムシリーズ。
対する標準シリーズは、商用車のハイゼットカーゴシリーズと同じ外観ということからか、あまり人気がなかった。

私がアトレーを買うと言ったとき、存外に喜んだのが弟であった。
彼は人気のあった「アトレーカスタム」を買うと思ったらしく、マニヤで変人の兄が、やっと更正したのか、横取りして乗りまわってやろうなどと考え、喜んだらしい。
納車されたクルマを見せたとき、彼の「やっぱりな」と言わんばかりの顔が忘れられない。

しかし私には標準シリーズのデザインの方が気に入っていたので全く気にせず。
というか、このデザインが気に入っていたからこそ購入したのであって、カスタムシリーズには最初から興味を持っていなかった。

購入から半年弱でマイナーチェンジがあり、チェンジ後の顔の方が良かったとガックリ来たのだが、すぐに立ち直り、今では前期型を買って本当に良かったと思っている。(負け惜しみじゃなくてホントによ)
後期型はクリアテールになってしまったのも、個人的な好みとしては残念な点。

ジウジアーロ大先生のありがたーいデザインということで、贔屓目もあると思うが、とにかく個性的でカッコよく、今でも色あせていないデザインだと思う。

上の写真でも分かるように、フロントガラスからボンネットフードにかけてのラインは、軽1BOXカーとしては異例に緩やかな傾斜となっている。

我が家では、野良猫がここを伝ってルーフに上がることがよくあり、実に迷惑していた。
どうもこの傾斜の角度が、ネコダマシーを痛くくすぐるのらしい。

しかも、スッと登ってくれれば良いものを、ボンネットフードの上でスリップするバカ猫がおり、無残にもボンネットフードに彼らの爪あとが残っていることもよくあった。

経年で黄ばみがちなヘッドライトレンズだが、私のクルマは完全車庫保管だったからか、あまり劣化している風がない。
ここが黄ばんでいると、一気にみすぼらしくなることもあり、これは大変良かった。

購入早々、リアゲートに貼られていた「アトレー」のステッカーを剥がして、「ハイゼット」のステッカーを貼り付けた。
私としてはジョークのつもりだったのだが、なるほど家族にさえ変人扱いされるわけである。
すぐに、サムイな、イタイな、カッコ悪いなと、自分でも嫌になってきたのだが、剥がすのも面倒になり、結局そのまんま。

上の「HiJetCab」のエンブレムも、私なりの「ドレスアップ」アイテム。
初代ハイゼット(ボンネット)の「hj」マークなんかも用意していたのだが、自分でも馬鹿馬鹿しくなってやめた。

右側が購入当初のオリジナルスタイル。
上でも書いたが、テールレンズの配色は、クリアレンズよりも3色揃ったこの色の方が断然好き。
ボディカラーは、ハイゼットと同じ白・銀・紺の他、専用色としてゴールドと有料色のツートンがあった。
露骨にハイゼットと同じカラーというのもなんだし、ゴールドはちょっと派手な感じ(実車を見たことなかった)ということで、このツートンカラーを選んだのは消去方という感じ。
もう少し落ち着いた色の方が良かったのだが、まあ長年乗ってみればこれもまた良い色だったなと思う。

オマケ
ゴールドのボディカラーはその後何度か見かけたが、思っていた程キラキラではなく、これもまた悪くなかったかなと思う。
白はハイゼットカーゴの姿そのものだが、Bピラーやリアの窓回りは黒塗りの仕様となっていて、ささやかな区別化がされている。

日本自動車博物館にて

アトレーで一番遠出をしたのは、北陸石川の自動車博物館に行ったときか。

若い頃には、550ccのレックスでよく遠出をしていたこともあり、楽勝気分で出かけたものの、北陸道では横風でフラフラ揺られる、大渋滞ではゴーストップの連続で消耗と、予想以上に疲れた旅であった。

それまで軽1BOXの経験が殆どなかったこともあるが、排気量の大きいクルマに慣れて、すっかりと堕落してしまった自分にガックリ。

アトレーでの遠出はこの一度で懲りて、以降は極端な長距離行はしていない。

北陸線旧線跡

自動車博物館からの帰途、1962年(昭和37年)北陸トンネル開通により廃止となった「杉津越え」の旧線跡を走った。
所々で何かの工事が行われており、全線を通して走ることは出来なかったように記憶している。
写真は山中信号所跡近くにあった、鉄道時代からのスノーシエッド(雪覆い)。
アトレーが酷く傾いているが、脱輪しているわけではなく、脱輪しそうになっている程度。
大型のダンプがビュンビュン飛ばしており、結構コワイところだった。

北陸線旧線跡

もう一枚、旧北陸線でのスナップ。
旧線北側、今庄側方向を望む。

鉄道施設らしきものは残っていないが、緩やかなカーブを描くラインは、いかにも鉄道敷らしい光景。
人家も稀な山中に、このような道路(線路跡)が残っているのが、不思議な感じがして面白かった。

上でも書いたが、アトレーは私の両親が孫(私の弟の子)を送迎するのに頻繁に使用していた。
彼らにとって軽四といえばアトレーのことであり、アトレーのみに装備していたMDプレーヤーで童謡を聞きながら、保育園と自宅を往復する足として使用していた。

彼らなりに少しは愛着を感じていたのか、廃車にすることを言うと、残念がるようなことを言っていたのが少し嬉しかった。
まあその場限りの郷愁というか、言葉なんでしょうけどね。
おいちゃんをおだてても小遣いはやらんゾ!

)
最後に代替モデルの紹介。(身障者スペースに停めてますが、撮影の時だけなのでご勘弁)
次期モデルはダイハツタント、このクルマについては購入資金を親が出したこともあり、選択については任せきりで、全く口出しをしなかった。
スペーシアなどにもチラリと興味を見せたようだが、フェローMAX(通称ボローMAX)以来続く、我が家でのダイハツブランドの地位は絶対で、特に迷うこともなく決めた模様で、もちろんAT車。
MT車を使っていたのは私の趣味からであって、元々両親はAT車を好んでいた。
両親にすれば、ヤクザなクルマから足を洗って、カタギのクルマに乗り換えることが出来たと位に思っているのであろう。

つくづく判官びいき的だが、アトレーのスタイルは今見てもいいなあと思う。
年式は旧いし、距離も走っているので潰されるのかも知れんけど、案外どこかで第二のオーナーを見つけて走り続けてくれるかもしれない。

ありがとう、ご苦労様、さらばバイバイよ。