![]() 47万円 |
今もスズキの主力ブランドとして活躍する、アルトの初代モデルが登場したのは、1979年(昭和54年)のこと。 それまで目立つ存在ではなかった軽ボンネットバンというモデルを、一躍看板モデルへと引き上げ、商用登録だけど乗用ユースをメインとした節税カー、また廉価なセカンドカーという市場を開拓し、当時の軽自動車市場を一変させた。 商品設定の目の付け所が良かったのはもちろんだが、クリーンで先進的なデザインが新鮮なイメージをもたれたこと、それになにより「47万円」という、当時でも異例に安かった価格設定が大成功の要因であったのだろう。 昭和54年というと、私が丁度小学校に入った年。 登場当時のテレビCMがYOU TUBEで視聴できるが、ここでも「47万円」というコピーが何度も出てくる。 当然私もこのCMを見ている筈なのだが、残念ながら記憶にはない。 当時の私は、「47万円」が高いか、安いかすらピンとこない歳だったから、記憶に薄いのも仕方がないといえば仕方がない。 ただ、小学校で3年年長だった人が、このCMにいたく感じいったらしく、街でアルトを見かける度に「47万円」と連呼していたことは覚えている。 この先輩にはずーっと後年になってから消防団で再会したのだが、「すずきあると、なんぼ?」と問うと、しっかりと「よんじゅうななまんえん」という返事が返ってきたので、思わず噴出してしまった。 まあ子供にもそれだけインパクトのあるCMだったということでしょう。 ようやく写真の説明に取り掛かると、みかん畑の隅にひっそりと佇む廃車のアルト。 ボンネットの先端がサクサク状態、苔むしているところを見ると、かなり長期間放置状態にあるのだろうが、この程度のサビなら、この時代のクルマにしてはまだマシなほうかも。 かつてはあれだけウヨウヨしていた初代アルトも、現役のものを見なくなってから久しく、販売台数の割には廃車体として残るものも少ないような気がする。 もっとも、10年くらい前までは、アルトなんか被写体として全く有り難味がない、雑魚的な扱いをしておりましたからな。 収穫の一番美味しい時期は過ぎてしまっているのかもしれない。 ボディカラーは赤がイメージカラー、白も多かったね。後は銀色と、毒々しいレモンイエロー、その他のカラーはあったのか、なかったのか知らないです。 |
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初代アルトというと、「47万円」、「2サイクルエンジン」という印象をお持ちの方が多いかと思うのだが、この2つはいずれも初期型にのみ見られた特長。 「47万円」という看板価格は、1981年(昭和56年)9月より「49万円」へと値上げ、2シーター車のみが47万円で継続販売された。 この値上げは、従来課税対象外であった物品税が、法改正により課税対象となってしまったことによる。 物品税非課税という点を突き、低価格を実現したところがアルトの強みであったのだが、アルトが成功し、軽全社が追随して市場が拡大すると、お国がウシウシ言いながら税金を取り上げにきたのである。 これは最近話題になった、発泡酒、その他の類似品の課税問題と同じパターン。 お国の為とはいいながら・・・。 当初はモノグレード、2サイクルオンリーだったエンジンは、フロンテと同系の4サイクルエンジンモデルの併売が始まり、角目に変更された1982年10月(昭和57年)以降は、全車4サイクルエンジンに統一された。(正確な時期はよくわかんないです) 定評があり、独自のファンも多かった2サイクルが消滅した理由であるが、女性ユーザーが増えたことが一因にあるのではなかろうか。 2サイクルオイルの補給という手間(4サイクルならとりあえず入れっぱなしでもいける・・)、白煙、排気音などが女性ユーザーには不評だったのでは、と勝手に推理しているのだが、如何なものであろう。 また、この時期に2サイクルエンジンの逆回転事件(エンジンが逆に回り、前進するつもりが後進したりしてしまう)が新聞ダネになったことがあり、マイナス印象を嫌ったこともあったのであろう。 但し、2サイクルの退潮、縮小傾向はそれ以前より明確化していたので、消滅は必然だったのかもしれない。 当初は簡素な装備で「47万円」だったアルトも、すぐにデラックス化が始まり、サンルーフモデル、オートマチックモデル、デラックスモデルを追加、後期の角目モデルで登場した「Gモデル」なる上級車は、デジパネ、リアワイパー、電動リモコンミラーなどと盛りだくさん。 デジパネのMTモデルでは、シフトインジケーターまで装着されており、段数の選択が遅れると数字が点滅して変速を促す機構まであったとか。色んな意味で夢みたいな装備ですな。 シフトインジケーターはスズキの2輪ではよく見られた装備なので、そこらの流儀なのかもしんない。 | |
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小学校時代からの友人のお宅が、白い初代モデルを長らく使っておられた。 しかし「初代アルトやね」という記憶だけで、丸目だったのか、角目だったのか、今となっては記憶もあやふや。 確か丸目の4サイクルモデルだったと思うのだが・・。 彼が都会から帰郷した年だったので、平成5年のことだと思う。 丁度彼の家に遊びに行った時、件のアルトが庭の真ん中でエンコしていた。 なんでも峠道でオーバーヒートしたけど、無理やり帰ってきたところ、そのままお亡くなりになったとかいう話だった。 そのときにエンジンルームを見せてもらったのだが、ボンネットのロックの外し方が独特で、面白いなと思ったことをよく覚えている。 通常はオープナーで浮き上がったボンネットの先端に手を差し入れて、ロックを外すというのがパターンだと思うのだが、アルトはボンネットの先端に付いているスズキマークが解除ボタンとなっていて、マークを押し込むことによってロックが外れるようになっていた。 自分で書いていても、面白くもなーんともない話であるが、ロックの外し方にひどく感心して、そのことだけはよく覚えているので、どーでもいいことだけど書いておく。 この白アルトの写真を撮ったのは10年以上前、上でも書いたように、この頃はアルトには殆ど見向きもしなかったような気がする。 それでも撮影をしているのは、友人の家で見た同型車のことを思い出してのことかもしれない。 | |
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※アルトにおける、4サイクルエンジンの追加時期、2サイクルエンジン消滅の時期は色々調べましたがはっきり分かりません。 断片的な情報としては、発売翌年の1980年時点で、既に4サイクルアルトは併売されている。 丸目末期の1982年発行自動車ガイドブックでは、2サイクルモデルが掲載されていないということ。(1982年2月で消滅?) 角目モデルでは2サイクルは存在しない。 カタログは一切持っておらず、自動車ガイドブック等、手持ちの資料ではこれが限界、ギブアップです。 | |
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