いすゞジャーニーM ・ ジャーニーL
現在も生産が続く、いすゞのマイクロバスブランド、ジャーニー。(現行モデルはニッサンのOEMモデル)
名前にアルファベットを組み合わせ、ジャーニーQ、ジャーニーKなどと、バリエーションに富んだラインナップを擁していたことはみなさんよくご存知の通り。
Wikipediaでは、S・E・J・K・M・L・Qの7種が取り上げられているが、私の中でいすゞジャーニーといえば、なんといっても今回紹介するジャーニーMと、Lが代表選手。
特に深い思い入れがあるわけではないが、愛嬌のある丸目、眉毛を連想させるウィンカー周りの造形を見るたび、なんとなーくほっこりとした気分になれる。

MとLの区別については、Mは2t車ベースの26人乗り、Lは3t車ベースの29人乗りとなっている。
外観上では、Lはサイドの窓ガラスが一枚多い(座席列が多い)ことで見分けることが出来る。
今の今まで気が付かなかったのだが、この時期のジャーニーは小さい方から、S・M・Lとなってたんだね。
それがどうしたと言われると困るのだが、分かりやすくていいね。
今の今まで気が付かなかったんだけど。

以下、私のコレクションの中からジャーニーを紹介していこうと思う。
以前に紹介した写真を何枚か使いまわしているが、見比べると面白い思ったもので、どうぞご勘弁を。
お暇なら以前のページも見てやってくださいな。(別窓リンク)


初期

末期
このタイプのジャーニーは、1973年(昭和48年)から1993年(平成5年)までと、実に20年に渡って生産が続いたご長寿モデル。
好きで長く作ったわけではないのだろうが、生産モデルがシーラカンス化してしまうパターンは、いすゞではよく見られたケース。
外観は何度か小変更を行っているが、フロントマスク以外はあまり変わりが無いように見える。
よく目に付くのは、丸目時代の途中から、ウィンカーとそれに隣接するルーバー(外気取入口?)の位置が下側に移動していること。
後はハイルーフ化されたこと、1987年(昭和62年)から角型4灯ライトに変更されたこと位だろうか。

このモデルの写真を撮っていて気づいたのはボディカラーの多彩さ。
何パターンあるのか知らないが、一台一台、それぞれにカラーや、装飾の帯のパターンが違っていて、全容がつかめない。

上の2枚は、それぞれ別の時期、別の場所で撮った写真であるが、「以前同じタイプのジャーニーを撮ったような気がするなー」と思いながら、帰宅後に見比べてみると色合いも、装飾の帯のパターンも全く異なっていることが判明。
完全なオーダーメイドではなく、カタログモデルとしてある程度パターン化されていたと思うのだが、そんなに細かくパターンを持っていたのかね。

こちらはロールーフの初期型ジャーニーM。
年式相応にサビが酷いが、なんとか塗装パターンの判別はできる。
これも似た感じではあるが、緑色の色調、帯の塗りわけパターンや塗りわけ位置が全く異なる。

側面窓、後ろ側から2枚目の窓ガラス上になにやら怪しげな構造物が確認できる。
換気用のルーバーだろうか?いささか無粋でかっこ悪い感じがするが、いすゞもそう思ったのか、昭和50年代に入ってからのモデルでは廃止されている。

私が撮り残したジャーニーの中で、唯一塗装のパターンが同一なのが、この2台。
しかしよく見ると、左の個体はハイルーフ部の装飾帯が入っていない。
うーん剥がれたり、消されたわけじゃなさそうだし・・。

長々と書いてきましたが、ジャーニーの塗装に関して研究する気なんぞまーーったくありません。
歴代モデルのカタログを研究したりすれば分かるんでしょうが、そこまでする気は、ねぇ・・・。
マニアとして甘いというか、中途半端というか、人間として底が浅いのです、私は。
誰か簡単に分かりやすく教えてクレクレタコラ。

角目になった後期モデル、左は移動販売車、右はナンバー付きで現役続行中。
愛嬌のあった丸目に比べ、無機質なイメージが強くなった角目タイプであるが、個人的には結構好きなマスク。

それでは毎度おなじみの、思い出ムダ話なぞ一席・・。

平成6年か、7年の9月、やたらと暑い頃に村内のある集まりで慰安旅行に行くことなり、鳥取の皆生温泉に行ったことがある。
低予算の旅行とあって、マイクロバスは借り物、運転手は参加者の中から選出といった形態、そのとき登場したバスが、丸目のいすゞジャーニであった。
当時でも相当に古臭い感じがするバスで、事実、内外装共にそれなりにくたびれた感じのものであった。
持ち主は仕出しなどをしている料理屋で、そこの送迎バスを格安で借りてきたらしい。
私は運転していないが、これまたなかなかの曲者だったようで、勾配のきつい米子道ではみるみる失速してしまう、後ろを見ると船の航跡よろしく盛大な黒煙の波また波。
パワステは付いていたように記憶するが、排気ブレーキはなし、登りでは水温計がぐんぐん上がる、エンジンはアンダーパワーと、運転役の人が「倍疲れた」などと愚痴っていたことを思い出す。
冷房はサブエンジンの独立式で(ディーゼルだったと思う)、これがまた常時全開運転のやたらにうるさい代物で、停車中でも床下から轟音が聞こえてくる有様。
その床下からは、透明な送風筒が立ち上がっており、冷気が車内天井まで導かれて噴出すようになっていた。当時から「なんで透明なの?」と疑問に思っていたのだが、その疑問は未だに解けずじまい。

とにかく時代がかったバスという記憶しかないが、私はそれなりに面白い経験だったと思っている。
残念ながら、他の参加者はそうは思わなかったようだが・・。

まあジャーニー君も、送迎車として近場でノンビリと走る程度だったところを、無理やり高速道路なんかを走らされてビックリしたんでしょう。
この送迎車はその後も数年現役で走っていたようだが、その後買い替えられて姿を消した。
ボディカラーは、薄い肌色にオレンジのラインが入っていたと記憶するが、このタイプもこれ以降見かけた記憶がない。