廃線
そろそろネタ切れ感もあるこのコーナー、前回に引き続き鉄道ネタで埋め合わせてみることにしよう。

平成8年(1996年)11月、新卒で入社した会社を退職してプータローになった私は、その年の2月に購入したばかりのインプレッサリトナと共に北海道へと旅立った。
北海道を一周しようかな、といった程度のアバウトな旅程で、特に目的地も無く、これといった観光の目的もない旅だった。

おろし立てのスタッドレスタイヤを履き、舞鶴からフェリーで小樽へ、そこから北上して稚内、オホーツク沿岸を南下して根室まで、後は道央、道南を経て江差から日本海側を北上して小樽へ。
11月といえど、本州から来た身にはつらい真冬の様相で、身を切られるような寒さと、積雪路には気をつかわされた。

この旅で印象深かったのは、あちこちに見られたローカル線の廃線跡。
今でこそ廃線探索というカテゴリーが確立されているが、当時は宮脇俊三氏の著書や、散発的なレポート記事が見受けられる程度で、情報がすくなかったように思う。
今思えば当時まだ残っていた貴重な史跡などを細かく訪ねたり、写真を撮っておけば良かったと思うが、当時はたまたま目に付いた場所を見物する程度で、フィルムや現像代が惜しかったこともあって、写真もあまり残っていない。
そんな写真の中から、何点かを抜粋してお見せしようと思う。

トップの写真は、オホーツク沿岸を走っていた興浜南線の沢木駅の跡地。
比較的新しい、小振りな駅舎のみが残っていた。
ホームや線路は既に無く、新しく付けられた道路と、整備された広場が広がっており、「鉄道用地」らしき面影は殆ど感じられなかった。
駅舎自体「沢木駅」という看板がかかっていなければ見落としていただろうと思う。
wikipediaの記事によれば、この駅は昭和10年(1935年)開業、昭和53年(1978年)無人化、昭和60年(1985年)興浜南線廃線によって廃止とされている。
この駅舎が建ったのは、無人化された前後の時期ではなかろうか。

「沢木駅」から南下して、名寄線の「渚滑駅」。
名寄線は平成元年(1989年)に廃止されているが、大きな駅舎がそのまま残っており、バス待合所として使われていた。
ただ、待合室として使われていたのは、玄関口に仕切り板で作られた小さな部屋があるのみで、鉄道時代の事務室や待合室の大部分は閉鎖されて入れなかったと記憶する。

駅舎の横をすりぬけてホーム側に出ることは可能であったが、写真を撮っていない・・。
レールは既にはがされていたと思うが、転轍機の手動レバーなどがホームに残っていた。
興味本位ですこし動かしてみたところ、オモリの重さに思わず腰砕けになってしまったことを覚えている。
ポイントへと向かうワイヤーが既に切られており、オモリの加重をモロにくらったわけで、恥ずかしさにあたりを見回して、早々に立ち去ることにした。

再びwikiの記事を引用すると、この駅舎は翌年平成9年(1997年)に解体され、現存しないとのこと。
この地方では比較的大きな主要駅であったので、現役時代の写真なども、ネット上で比較的よく見られる。

これは印象的な姿で、鉄道マニア以外にも有名なスポット、「根北線・第一幾品川橋梁」、通称「越川橋梁」。

根北線は、網走の東にある斜里町から道東標津町までを結ぶ路線として着工されたが、戦争を挟んで建設が中断。
戦後になってから、斜里側から10キロ強の路線が部分開業したものの貨物旅客ともに全く振るわず、開業から13年で廃止されてしまい、全線開通も夢物語として潰えてしまった。

この越川橋梁は、開業することがなかった未成区間に建設された橋で、一度も列車が走ることはなかった。
本来は10連のアーチが並ぶ優美な橋であったが、下を走る国道改良工事の際に2連分が解体され、断ち切られている。
本来ならきれいに立ち並ぶアーチを見てみたいものだが、乱暴に断ち切られた部分がまた独特の物悲しさをかもし出しているのも事実。

平成10年(1998年)には登録有形文化財にも指定されており、歴史の生き証人として今後も立ち続けてくれることであろう。

このほかにも道南松前から、江差方面へと向かうことを目指しながら、やはり建設途中で放棄された鉄道未成線があり、車窓からも痕跡が確認できたが、当時は手元に資料が全く無かった為、深い興味を覚えることがないまま通過してしまった。