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| 昭和38年 | 昭和47年 | 昭和51年 |
結婚式
| 私の父は四人兄弟、この四人が順に結婚した際の写真が我が家に残っているが、それぞれの写真を見ていると、昔ながらの雰囲気と、その中でも時間の流れの感じられる点がよく見受けられて面白く思ったので、順に紹介していきたい。 三十年から、四十年前の、日本の田舎のごく平凡な家庭の嫁入り風景の写真である。 |
昭和38年10月 父の姉が結婚した際のスナップ。嫁ぎ先は20キロばかり離れた同じ町内の人。迎えに来たタクシーは町内で現在も営業しているタクシー会社、A社のトヨペットクラウン、後続にニッサンセドリックの姿も見える。 当時クラウンは既に2代目へとモデルチェンジしていたが(昭和37年9月)、この時点ではまだ旧型が現役だった模様。 以前の記述と丸々重なるが、道の真ん中にクルマを止めての乗降や、見物人の姿格好がいかにも昔風で田舎っぽい。 まあ事実田舎であるので仕方がないわけだが・・。 新郎は電電公社に勤める真面目な人、その後3人の子供に恵まれ、孫、さらに60代前半にして、ひ孫にまで恵まれている。 新婚旅行は北陸方面。 急行電車の2等車(今のグリーン車)に乗り、見送りを受けている写真などが残っている。 |
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昭和47年3月 私の母が嫁入りしたときの写真。母の出身は企業城下町として栄えた工業都市、対する父の出身は大した産業もない山間の田舎町、の、さらに奥へ入った寒村。母の両親が当地を初めて訪ねたとき、峠を越えるバスのなかで、なんという山奥なのかと絶句したとか、なんとか。写っているクルマは、2代目後期のニッサンセドリック。ハイヤー仕様のクルマを使って来た模様。見物客の中に、相変わらずほっかむりのおばさんが居るところが田舎らしい。 それでも上の写真と違い、クルマの乗降は県道の路肩で行っている。さすがにこの頃になると道路の真ん中にクルマを停めてとはいかなくなったのだろう。 その後二人の子供に恵まれる、いずれも男子で、弟の方は真面目な仕事に就き、結婚して三人の子供に恵まれるが、兄の方は箸にも棒にもかからないグータラ者で、いつも悩みの種であるらしい。 そのグータラ者とは、言うまでもなく私のことである。 新婚旅行は九州。 船で別府、熊本から長崎を経て、帰途は福岡から大阪まで飛行機で。 飛行機は当時としては奮発したものではなかろうか、もっとも乗ったのはプロペラ機で、なんとなく頼りない感じで恐ろしかったとのこと。 |
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昭和51年11月 使われている車は新旧のニッサンセドリック、ひと目で分かるように通常のタクシーに使われているスタンダードグレードで、車両自体もハイヤーではなく、流しに使われている通常車両。そもそもこの街にはハイヤーなどというものがないので仕方がない。 扉の社名表記が、テンプレートを使った簡素なものであるところもほほえましい。 上から順に、乗降場所が変わってきている。 最初は県道のど真ん中、次は県道の路肩、そして今回は県道から支線に入った町道が乗降場所。ここは急な上り坂になっている場所で、花嫁さんはさぞかし乗降に困ったことだろうと思う。最初に乗降に使っていた県道は見通しが悪い場所で、この頃になると田舎とはいえ交通量も増えてきており、車を停めることも難しかったのだろうと思う。 その後は三人の子供に恵まれ、いずれも結婚して新たに家庭を持ち、孫にも恵まれている。 新婚旅行はハワイ。 この結婚式については、私が四歳のときであり、断片的ながら記憶が残っている。その記憶とは、宴席時の机にあったクッキーのこと、いくら食べても誰にもとがめられず、気の済むまで大量に食い続けたことだけは覚えている。 |
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| 最後に父の弟であるTさんが昭和55年に結婚式をあげているのだが、次男で別の場所に新規に家庭を持ったということもあり、他の三人のように実家でお嫁さんをお迎えするということはしなかった模様。 また結婚式の会場も農協会館というホールで、父の時のように神社の集会所を使うようなスタイルとは違っていたらしい。それだけ時代がまた変わったということだろう。ということで写真については割愛。 その後三人の子供に恵まれ、先日には初孫にも恵まれている。 新婚旅行はアメリカ西海岸、新婚旅行の行き先だけを並べてみて時代の変遷を感じるね。 結婚式については、私も小学生になっていたのでよく記憶している。 Tさんには、小さいときからよくかわいがってもらったことも有り、式の最後に新郎新婦に花束を渡す役を任された。非常に恥ずかしいので嫌だったのだが、父から500円やるからと半ば無理矢理やらされたのは覚えている。この時の500円は未だに貰っていないのだが、いまさら請求するわけにもいかないので黙っている。 |
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