祖父と私
私が手に持っているのは黒箱時代のトミカ。ホンダTNのパネルバンらしいのだが、誰に買って貰ったのか覚えていない。


祖父とトミカと私 トヨタ・ハイエース

先日母方の祖父が亡くなった、ここ数年は孫の顔さえ見分けられぬ状態で、更に最近は寝たきりの状態だった。
石川島播磨重工業の前身、播磨造船所時代から勤め上げた造船マン。いかにも職工らしいがっしりした体格、寡黙な人だった。
孫にお菓子や小遣いを与える際は「ん」、とか言ってごつい腕をにゅっと付きだして来たし、娘婿である私の父を呼ぶときはずっと名字を呼び捨てで呼んでいた、一種の照れ隠しの様な物なのだろうか、ちょっと不器用な感じがする人だった。

その祖父におもちゃを買って貰ったことが一度有る、もちろんこれ以外にも何度も買って貰っている筈なのだが、祖父から直接買ってもらったというのはこのとき以外に記憶に無い。

私が未だ幼稚園位の時と思うから20数年以上前の事である、夜になってから或る神社の祭りに出かけた。
いつもなら父か母、又弟が一緒で有るはずなのだが何故かこのときは祖父とふたりっきり。バスに乗って出かけたのだが、肝心の祭りの方はどんな案配だったのか全く記憶に無い。
私の記憶にあるのはおもちゃをたくさん並べた露店の前に立った事、祖父から「買ってやる」と云われた記憶はないから、私が欲しそうにしたのかもしれない。

とにかく「なにか一つ買ってやる」という話になったのは確かで、私はダンプトラックのミニカーを指さした。
それは私がたくさんもっていたトミカではなく、少し大きめのミニカー。今考えればダイヤペットかトミカ・ダンディのモデルだったのだろうか、いかにもずっしりとした質感の有るボンネット・トラックだった。
いつもならトミカで満足していた私だが、この時はここぞとばかりに高いおもちゃをねだったのである。
果たして祖父はあまりいい返事をしなかった、「駄目」と云ったりはしなかった筈だが、祖父の顔色を見た私はその下に並んでいた小さいトミカの方に目を移し、その中の一台「トヨタ・ハイエース」を手にとりそれを買って貰った。

前で書いたとおり、祖父に直接おもちゃをねだったのはこの時しか記憶に無いが、大きいミニカーを買って貰えなかった事で随分ケチな人なんだな等と思った事を覚えている。
本当の所はそんな事は無く、かなり後年入学や卒業シーズンになると必ずたっぷりとお祝いや小遣いをくれた物である。
あの時祖父が大きいミニカーを買うのを渋ったのは、何か意味が有ったのかも知れない。

小さいトミカしか買って貰えなかったのは確かだが、それでも私はとても嬉しく、帰途の足取りが軽かったのはよく覚えている。
帰りはバスが無かったのか徒歩で帰宅、今同じルートをクルマで辿ってみるとかなりの距離である。
最後には随分疲れてしまいウンザリしたが、おもちゃを買って貰ったことも有り、頑張って歩き切った。

祖父の事を思い出す度、このときの事を思い出す。
平成12年4月 記
(2000.5.19)

戻る