手柄山 今昔
私の時代の手柄山

私は昭和50年代の初め、子供の頃に姫路市の南部に住んでいた時期があり、手柄山は遊び場所として非常に馴染み深い場所であった。
休日、父に遊びに連れて行ってもらうというと、まずこの手柄山公園が行き先であった。
広い公園で自動車の心配もなく、子供は勝手に遊ぶし、お金を使う所もないと、都合が良かったからであろう。
ふもと側にあるコンクリートのオブジェの様な遊具や、山上のジャングルジムは数え切れないほど訪れたものである。
トップの写真は、山ろくから撮った「手柄山回転展望台」。
数年前まで、屋上に名称を記した大きな看板文字が上がっていたが、いつの間にかなくなっている。
この建物も相当古びており、あまり客足も無いことから、閉鎖される可能性もあるかも。

平成5年(1993年) 平成21年(2009年)
姫路市立水族館
姫路博と同じ昭和41年にオープン、「山の上の水族館」というコピーが売り。
手柄山の斜面に張り付くように館舎が建っており、広がりはないが、立体感のあるつくりとなっている。

姫路市民はもちろん、播州地方の人なら、学校の遠足、見学旅行の類で必ず、しかも何回も訪れているはず。
私も忘れようとしても、思い出せない位何回も行っている。
上写真は、モノレール手柄山駅跡の屋上から見た水族館。
こまごまと変わっているところがあり、見比べると面白い。

前述のとおり、横よりも縦に広がりがある建物なので、階段だらけ。
手前にエレベーターが作られたのは、バリアフリー対策ということだろう。


平成4年当時
長らく親しまれてきた姫路市立水族館であるが、経年による老朽化が進み、平成18年(2008年)秋に休館。
大規模な補修リニューアルが施工され、平成23年(2011年)に再度オープン予定。

左上側写真は、平成4年(1992年)当時の水族館。
当時でも施設は相当に古びており、手柄山の他の建物と共に、うらぶれた雰囲気が漂っていた。
ウミガメ、オオサンショウウオなどの研究で有名な水族館なのであるが、市営で派手な演出が無いこともあり、なんとなく地味な印象があった。

左下側は昭和50年代にあったペンギンショー。
階段付きの飛び込み台に、ペンギン鳥がよちよち登り、プールへダイブ。プールを一泳ぎして陸に上がり、飼育員のオッちゃんに魚を貰うという比較的単純なもの。
奥に立っている灰色の服のオッちゃんが、左手に金属ボールを持っているが、これにご褒美のお魚ちゃんが入っていた。
子供の頃にはなかなか楽しい見物であった。

平成4年当時、同じ場所から写真を撮ろうとしたが、プールの配置が変わっていて、撮れなかったような覚えがある。
今でもペンギンは飼われており、休館中の今でも、外から様子を見ることができる。

あともうひとつ、左上、大人の等身大のペンギンの絵が見えるが、これはゴミ箱だったかな。
何箇所か、複数がおいてあったような記憶があるが、昔のことなのであやふや。

昭和50年代前半

平成4年(1992年) 平成21年(2009年)
旧市民プール
水族館の屋上は広場となっており、昭和40年代にはここに「姫路市民プール」があった。
廃止がいつなのかはわからないが、手柄山北西山ろくにある現・市民プールと入れ替わりだったはずで、極短期間で廃止になった模様。
国土地理院が提供している航空写真では、昭和49年の時点で既にプールの姿はない。

私が子供の頃にはプールに砂が入れられ、大きなジャングルジムが設置されていた。
10年程前だろうか、砂場と遊具が撤去され、庭園風の広場に再改装された。
水族館のリニューアルオープン時には、この広場が「ビオトープ」として整備されるという。

平成5年(1993年) 平成21年(2009年)
スリラー塔

初めて手柄山を訪れる人に、必ず強い印象(奇異な印象?)を与える手柄山のなぞの建築物。
姫路市による名称は「スリラー塔」、既に紹介したように姫路博当時のパビリオンとして使われたという。
自らわざわざ「スリラー」と名づけた意図はよく分からないが、不気味なことは間違いない。

昔の写真をよく見ると、建物の下部はむき出しのコンクリートとなっている。
コンクリートのスから、建築当時の砂利が見えていたりと、見栄えが悪く、さらに不気味さを演出していたが、今は化粧レンガが貼られてキレイになっている。

中央一番高い塔の部分には、「売店」という白塗りの大きな看板がかかっていた記憶があるが、私が覚えている限りでは開店しているところは見たことがない。

一つ上の写真の真反対側から撮った写真。

同じ場所のジャングルジムで
この砂場で面白かったのは、水を抜いたプールに砂を入れただけという安直な作りであったこと。
後ろに少し見えているが、「プールのふかさ」という手書きのペンキ文字。その下に写っている、船の舷窓を思わせる覗き窓(未だになんだったのかわからない)、鉄格子で閉鎖されたシャワー室跡らしき場所、どれもが廃墟もどきの代物。
なるべくお金をかけたくなかった姫路市の意向からだろうが、いろんな暗い印象が相乗効果になり、子供心にも気味悪く感じることがよくあった。

中央は昭和51年(1976年)当時の私。

昭和51年(1976年) 平成21年(2009年)
太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔
太平洋戦争時の空襲犠牲者の慰霊塔。中央の巨大な石柱は、剣を地面に突き刺し、不戦を誓っていることを意味しているのだとか。
失礼な話であるが、子供の頃の私には二つの丸が目に見えて、不気味に見えて仕方なかった記憶がある。

昭和51年(1976年) 平成4年(1992年) 平成21年(2009年)
水族館の看板
そのまんま、水族館の看板。
特徴的な形をした看板であるが、昔々から変わらぬ姿で現在も残っている。
別の場所にも同じ形をした看板があり、もしかすると、開館時に用意されたものかもしれない。

撮影場所は、今の平和資料館の裏手で、方向としては、手柄山より北西方向側を望む。
昭和51年(1976年)の写真では、岡山方向へと向かう、新幹線の高架が見えている。
看板の下側には、カラー写真で魚の写真が載っており、とてもキレイだったのはよく覚えている。

平成4年(1992年)の写真は、同じ場所で撮った写真だが、樹木が大きく育ち、直接背景を望むことが困難になっていた。

ついでに現在の写真も掲載したが、人物は省略。
今年37歳のオッサンの姿を見てもしょーないでしょ。

北展望台
左の高い建物は噴水塔。
右のテラスは手柄山北側にある、北展望台。

噴水塔は以前は水が流れ落ちる仕組みになっていたが、随分以前から干上がったまま。
姫路市のサイトによれば、ポンプが故障中とのこと。このへんのノリは、昔ながらの手柄山的なノリだと思う。
北展望台には売店があり、これも10年くらい前までは人が居たように思うのだが、今は無人で店の壁も撤去されてしまった。

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