モノレールの軌道跡

姫路モノレールの軌道跡については、莫大な撤去費用がかかることもあり、廃止後も長年放置されたままであった。
赤錆が走る高架軌道を、新幹線の車中からご覧になり不思議に思われた方も多いだろう。
昭和60年頃だったろうか、老朽化したケーブルが桁から落下するという事故があり、美観上も不評であった軌道の撤去が始まった。
平成3年頃に山陽電車との交差部のトラス橋が撤去、以後道路との交差部などが優先的に撤去され、今ではかなりの部分が姿を消した。
しかし今なお6割から、7割が残っているという報道もあり、いまでもモノレールの痕跡をたどることは容易である。

ここでは、私が過去に撮っていた写真も交えて、モノレールの軌道跡を紹介したい。

トップの写真は、平成4年の夏、手柄山から姫路駅方面を望む一枚。
手前は、姫路文化センターの駐車場、ここも最も早くに撤去が行われた場所のひとつ。


↓ 以降、姫路駅側から順に・・・ ↓


平成6年(1994年) 平成21年(2009年)
姫路駅新幹線ホームから
モノレール姫路駅は、山陽百貨店の増築工事時に消滅し、私が関心を持ち始めた頃には跡形もなかった。
駅舎を外れた所からは、ほぼそのままに軌道が残っており、平成6年時の写真では、山陽電車の交差部が切れている以外は、一直線に伸びる軌道が確認できる。
平成21年時点では姫路駅側から徐々に撤去が進んでおり、山陽電車との交差部以東には桁が存在せず、何本かの柱と、付属する僅かな桁が残るのみ。
高架化が完了したJR姫路駅によって、ホームとレールの位置がかさ上げされた上、全体が南寄りになっているのでかなり雰囲気が変わっている。
ごちゃごちゃした、雑多な感じの有った駅北西も、これから再開発が進むのだろうか。



姫路駅側

手柄山駅側
2009年(平成21年)
大将軍駅(高尾アパート) 
唯一の中間駅であった「大将軍駅」、なんともデラックスなお名前。
姫路駅側は軌道も残り、当時の雰囲気をそのまま残している。

建物は、モノレール駅を取り込んだ構造として設計されており、上階は住宅、駅の下には飲食店などが入居している。
建物が緩やかにカープを描いているのは、軌道のカーブに合わせたからというから、当時のモノレールの扱いが伺える。
駅ホームは当時のまま残っているらしく、建物の下からもホームの一部や、駅名票が見える。
姫路駅からさほど離れておらず、利用者は非常に少なかったとか。
それでも開業時だけは大変に混雑したとかで、勤め先のオッサンが、ここから乗り込んだ時には大変難渋したといっていた。

これより手柄側は、駅を出た直後の桁が外されているが、しばらく軌道跡がのこる。



平成21年(2009年)
新幹線との交差部
大将軍駅を出ると、モノレールは南方向へと向きを変える。
昭和41年(1966年)のモノレール開業時には無かった新幹線が、昭和47年(1972年)に上を跨ぐように開業している。
モノレールはこの新幹線の高架を過ぎてすぐ、地平を走る山陽本線と交差しており、新幹線建設当時、この三者との兼ね合いで高架の高さが非常に問題であったらしい。
もろろん設計段階から考慮はされていたのだろうが、ぎりぎりの高さで三者が高さを調整したとか。
にも関わらず、モノレールは昭和49年には休止しており、三者が共存したのはごく僅かな期間のみ。
新幹線高架下を、ギリギリの高さで通過するモノレールの軌道跡が今も残る。
上の影は、高架化された山陽本線の高架橋。


平成8年(1996年) 平成11年(1999年) 平成21年(2009年)
山陽本線との交差部
山陽電車と交差していたトラス橋が撤去されたあと、最も目立つ構造物であったトラス橋。
撤去されたのは、平成8年(1996年)頃。
トラス橋が乗る柱は他のものとは違い、上に出っ張った部分の先端に軌道の桁が乗り、横へと広がった頭の部分にトラス橋が乗るという構造になっている。
上の三枚の写真は手柄山側から撮ったもの、対象となる北側の柱はトラス橋と同時に撤去された模様。
山陽本線高架工事の際、南側のこの柱にも足場が組まれていた時期があり、同時に撤去されるのかと思いきや、今でも健在。
姫路駅を発車した西行きの車内から、間近によく見える。



平成21年(2009年)
手柄山山上より、望遠レンズで望んだ、現在の交差部。
分かりにくいかもしれないが、山陽本線の高架橋に分断されたモノレールの軌道跡がお分かりか。
モノレールの写真奥側(東側)に、姫路を南北に結ぶ幹線道路、「産業道路」が走る。
この道路は、「将軍橋」(大将軍橋)という橋で山陽本線を跨いでいた。古風な欄干が付いていて、なかなか趣のある橋であったが、山陽本線高架化に伴い、地上化され姿を消した。



残存軌道の北端

残存軌道の南端
平成21年(2009年)
山陽本線との交差部以南(船場川沿い)
山陽本線以南は船場川に沿って、軌道がかなり長く残っている。
軌道の撤去順序は鉄道、道路の交差点、住宅の近辺なとが優先されているようだが、この区間の敷地は、民間会社の駐車場や、川沿いの市道、最南端の柱は川のなかに位置しており、一番最後まで残るならこの区間ではないかと思う。

右側写真の手前の桁が赤く変色しているが、この部分は鉄桁である模様。
下から見上げると、点検口のような楕円のフタがボルトで締められているのが見える。
柱の形状も、柱と短い桁が一体化した、他と違うものが使われている。
山陽電車の西側にも同じタイプの柱が残っているが、コンクリート桁と、鉄桁の使い分けの理由は分からない。
この地点はかなり高い柱を使っている。

平成3年(1991年) 平成21年(2009年)
東西行き道路との交差部(山陽色素工場横)
東西行き道路と記したが、市道名称が分からないので・・・。
この道路は、姫路駅南から手柄山北側を通り、英賀保駅方面へと至る東西行きの幹線。
交通量も多いことからか、道路との交差部は、一連の撤去作業の最初期、平成4年(1992年)初めに撤去された。
これより南側は住宅地の中を通るが、しばらく経った平成5年頃までは残存していた。
これより北側は上の写真にも有るとおり、現在も軌道が残っている。

平成5年(1993年) 平成21年(2009年)
姫路市文化センター駐車場
手柄山駅の屋上から、姫路駅方面を望む。
姫路市街地を一望できるこの場所は、新幹線と、姫路城を絡めることのできる定番撮影地。
トップにあげた写真は同じ位置からの撮影。
ここは目立つ場所であったこともあり、平成4年秋ごろから一気に撤去が進み、平成5年の写真では手柄山駅側に僅かに軌道が残る以外、山陽色素前の道路(一段上の写真撮影地点)まで、ゴッソリと姿を消している。
左側写真中央に、水色に塗られた高い煙突が立っている。モノレール開業当時の写真にも写りこんでいる古い煙突であるが、今はもう無い。平成11年(1999年)に撮った写真では既に姿がないが、いつ頃なくなったんだろう。
末期は水色の地に、姫路市の市鳥白鷺の姿が描かれていた。

右側現在の写真では、手前駅側の軌道が全て撤去され、巨大な立体駐車場ができている。

平成5年(1993年) 平成21年(2009年)
手柄山駅屋上から
平成5年(1993年)時点、手柄山駅側に僅かに軌道が残る。
山の中腹にある手柄山駅はかなり高い位置にあり、駐車場側からは軌道を駆け上るようにモノレールが走ってきたという。
一度その姿を見てみたかったものであるが、いまさらそれはかなわない。

平成5年(1993年) 平成21年(2009年)
手柄山駅
姫路市立水族館の北端から手柄山駅を望む。
手柄山駅の軌道出入口は、以前は板でふさがれており、それが長年見慣れた光景であった。
軌道を撤去した際に作り直したらしく、今はしっかりとしたコンクリート壁で塞がれている。

平成5年(1993年)当時、もう少し水族館側に張り出したテラスがあり、そこから撮影をしているのだが、そのテラスが撤去されてしまったので、現在の写真はかなりズレた位置から撮影をしている。
さらに水族館にエレベーター設備が増設されたりしており、それに遮られて、ここからはモノレールの出入り口跡を見られなくなっている。

昔はこの位置(水族館の北側)に、回転扉を使った水族館出口があったんだよー。

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