変な名前・・
日野ブリスカ

昭和30年代、日本の自動車産業は、トラック・ライトバンといった商用車が生産の主役であった。
オート三輪のメーカーを中心に、小型商用車を専業としていたメーカーが多数存在、乗用車にも派生モデルとしてライトバンとトラックを揃えるのが定番であった。

日野自動車におけるその「定番」がこのモデル、日野ブリスカ。
もっともコンテッサはリアエンジン方式で、フロントエンジンのブリスカとは性格も外見も随分と異なり、派生モデルというよりも、全くの別モデルと区分すべきなのだろう。

コンマースのページでも書いたことだが、RRのコンテッサ・ルノー、FFのコンマース、FRのブリスカと3種類もの方式を採った、日野の目的はなんだったのだろうか。
RRはルノーを組み立てていたから必然、FRは商用車だから仕方なく、FFはなんとなく良さそうだったから・・。
なんて理由だったらおいちゃんは怒るよ。

ま、冗談はさておきブリスカはコンテッサと同じ900ccエンジンを積む初代と、モデルチェンジして1300ccエンジンを積んだ2代目が存在する。

初代ブリスカ900は前述の通りコンテッサ900とは全く似ても似つかぬ顔をしており、ライトバン・トラックのほか、6人乗りのピックアップまで用意する力の入れ様。
グリル部を中心に一度デザインが変更されているが、あまりカッコ良くないね・・。

パワーアップした2代目ブリスカは、セダンと同様車高が低く、随分とスマートな印象になった。
惜しむらくはラインナップがトラックのみとなった事か。

コンテッサ1300と共に、日野・小型車部門の期待の星で有ったブリスカ1300であったが、コンテッサと共にその幕切れはあっけないものであった。
昭和41年10月にトヨタと日野の業務提携が決定、翌42年春には早くもコンテッサの生産が打ち切られてしまう。
コンテッサ亡き後、ブリスカは「トヨタブリスカ」と名を変え生産を継続したが、1年後にはトヨタハイラックスにその道を譲り姿を消している。

ハイラックスなんて名前を変えず、ブリスカのままで生産していたら・・・。
ハイラックスサーフならぬ、ブリスカサーフなんてクルマがなんてクルマができてたかもね。

ブリスカ、コンテッサの物語についてはオールドタイマーに連載されていた「日野の夢・コンテッサに託して」という記事に詳しい。
ブリスカ終焉時のエピソードについては、第18号を見られたし。
初代 前期 ブリスカ900トラック
初代 前期 ブリスカ900ピックアップ
初代 後期 ブリスカ900 ライトバン
トヨタブリスカ1300

私の持っている日野ブリスカ1300のカタログより・・。

表紙のほか本文中にも「最高時速110キロ以上」という文字が踊る、いまどき軽自動車でも簡単に出せるスピードで有るが、当時はこういった数字が注目の的だったのだろう。しかし「110キロ以上」の「以上」ていうのはよく分からん表現だね。
商用車ならではのお約束頁、積載能力の紹介。
米俵とか、練炭とか、木箱のビールケースとか、やっぱり時代を感じさせますなぁ・・。
でもリンゴ箱はすでにダンボール製となっているのは面白い、リンゴ箱の机なんてのも幻ですな。

下地になっているブリスカのイラストであるが、よく見ると2灯式のヘッドランプを使っている。
コンテッサのスタンダードグレードと、登場初期のブリスカは2灯式のヘッドランプを採用していたらしい。
ここで紹介したカタログでは全ての写真が4灯式となっているので、途中から変更されたのだろう。
ちょっと無理の有るショット、一家で楽しくお出かけといった風情だが、ライトバンならともかくもトラックでは、ね・・・。
確かにブリスカはカッコイイよ、でもね・・。

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