掌鼓請!!
ダイハツアプローズ
最近遂に鬼籍入りしてしまったダイハツアプローズ、登場はバブル経済華やかなりし平成元年。 提携先トヨタのカローラをベースとしていたシャルマンと異なり、ダイハツ自社設計開発の1600ccセダン。何度かマイナーチェンジを繰り返しながら生きながらえていたが、後継者はついぞ現れず、トヨタカムリのOEM版ダイハツアルティスがその任にあたっている。 発売直後に失火騒ぎを起こし、某紙にさんざんに叩かれた事はあまりに有名。その理由真相を私が知る由も無いが、営業に大いに影響したのは確か。 この事件の事、スーパーリッドと称するハッチバックシステム等、クルマの詳しい特徴はみなさんよくご存じと思うので割愛。 ここでは肝心な事は全て切り捨て、独りよがりな思いでばかり記すことにしよう。 当時私は高校生で鉄道マニア、勉強もせず夜な夜な時刻表ばかりくっては、ニタリニタリとする非健康的な毎日を送っていた。 そんな私が久しぶりに興味を持ったクルマがこのアプローズ、元々大のダイハツびいきで初代シャルマンが大好きだった私だから当然の流れだったと云えよう。 当時の私にはカタログを入手する術も無く、新聞広告を切り抜いて大事にとっておいたりしたものである。残念ながらオーナーになる事も、運転する機会もなかったが、今でも特別な一台。 | |
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登場当時の新聞より、「あぷろーず、あぷろーず」と車名を連呼するテレビCMのインパクトがすばらしかった。(?) 濃紺が当時のイメージカラーであったが、幾分のっぺりとした感が有った。 |
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週間朝日で下野康史氏が連載していた「乗んなきゃわかんない」より。 全般的に好意的な文章にまとまっているが、「これなら役員車としても恥ずかしくない」等という記述も・・。 この連載は後に単行本としてまとめられたが、この本にアプローズの章は無い。 やっぱり連載が週間朝日だったからなのかなぁ。 後生大事にとっておいた当時の切り抜きから、くしゃくしゃになって変色した紙が時代を感じる。 ああ歳食ったもんだ。 |
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平成2年5月付新聞広告より、イメージキャラクターに楠田枝里子、芹沢信雄の両氏を起用。 両氏が出演するCMも当時は流されていた。 販売はしているものの、CMも流されなくなったのは何時の頃からか・・・。 新聞折り込みのチラシからつまはじかれたのは、平成5年頃からだったと記憶する。 |
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理由はよく分からぬが、この頃から車名に「シータ」というおまけが付きアプローズ・シータが正式名称となる。 シータとはギリシャ文字の「9番目」を意味する。 つまり90年代という意味とかけているらしいのだが、ダイハツもさすがに感心しなかったのか、程なく元のアプローズという名前に戻している。 平成3年1月18日付の新聞広告より、この日のトップ記事は「多国籍軍、イラクと開戦」。 |
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平成4年7月のマイナーチェンジでグリルデザインが変更される。 それまでのデザインが気に入っていた私は、非常にがっかりした。 実はアプローズをホントに欲しいと思っていた時期もあったのだが、このモデルチェンジ以降急速に感心がうすれてしまった。 今の感覚でいえば、まずまず悪くないデザインかなとも思うのだが、時既に遅し。 |
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平成9年9月のマイナーチェンジで恐ろしくゴージャス、かつスーパーロイヤルデラックスきんきら光り物いっぱい仕様に変身。 古のシャルマンで培われた手法が最大限に活用されたモデル。歴史は繰り返す・・。 よくよく見てみればインパネデザインは一新され、灯具のデザインも変更されるなど、なかなかお金のかかった変更であった模様。 初めて実車を見たのは大阪・池田であったが、元々の姿を知る身にはやはり違和感を覚えずにはいられなかった。 |
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後継車ダイハツアルティス、平成12年3月30日登場。 月販目標台数100台。 目標100台って、売る気有るのかなぁ・・。 さらばアプローズ |