1973年(昭和48年)10月

1974(昭和49年)年2月
対決!
新・剛力スバルサンバー
「剛力サンバー」というニックネームが付いた、3代目スバルサンバーが登場したのは、1973年(昭和48年)2月のこと。
マニアの方ならご存知であろうが、大相撲の人気力士「貴ノ花」をイメージキャラクターに起用し、カタログや広告に写真が使われている。
今回は、たまたま私が持っていた、貴ノ花の写真が掲載された初期のカタログと、彼の写真がアメフト美女に置き換えられてしまった以降のカタログ、両方を比較検証しながら紹介したい。
比較なんとかといっても、学術的見地から見比べるというわけではなく、ブンセンのアラ探しみたいなもので、おもしろおかしく、あまり高尚とはいえない見方をして、ほじくり返してみようといった魂胆。

また、題名で日米対決などと銘打ったのは、CMキャラが日本とアメリカの国技で対抗しているということから連想したもので、全く意味も意義も道理もない。
強いて言えば、意味深な題名をつけておけば、無関係な、オッチョコチョイな人が、検索エンジンで見つけて見に来てくれるかなと思ったくらいのことで、アクセス数の増加に寄与するかどうか興味深いところ。
こんな手口で引っ掛けようとするのは、どっちがオッチョコチョイなのか、マヌケなのか疑問に思うところであるが、それは時間の経過によって歴史が判断してくれることでしょう。

それぞれ左上寄り(奥)が、貴ノ花版の初期タイプ。(以下同じで「貴版」と呼称)
右下寄り(手前)の写真が、アメフト美女の後期タイプ。(上同、以下「アメ版」)

貴版では「新剛力サンバーで連戦連勝!」と相撲取りらしい台詞が使われているが、アメ版では「意気揚々!」と変更されている。
あとは見た感じ同じ。

貴ノ花の写真を配し、「荷台の広さでドスコイ!」と入る貴版に対し、アメ版は「ドンとこい!」と来た。
アメフト美女に「ドスコイ」はないもんね。
上で、アメリカの国技としたフットボールであるが、これには公的な根拠はないらしい。
アメリカ人は、野球も、バスケットボールも好きそうなイメージがあるよな。

レロン・リーが、まだ小さかった落合博満の息子(フクシ君だな)を見て、「将来は、フットボールプレイヤーか?ベースボールプレイヤーか?何れの道を選ぶなりや?」と聞いたので、日本人はフットボールを余りしないんだよと、落合が苦笑したことがあったとか。
出展は、20年以上前の、なかむら治彦の漫画。
本当かどうかは知らないが、よく覚えている。
リーといえば長年日本で暮らした知日家だし、なんとも眉唾なネタ系のニオイがするが・・。
別にここで書く必要はない話であるが、書いてはいけないことでもないのでここに書きとめておく。

貴ノ花関もラクに乗れるひろーいキャビン」、キャラクターが変更になったアメ版では、当然貴ノ花の名前は消え、「ひろーいキャビンも自慢のひとつ」と変更されている。
それにしても貴ノ花の名前を出すくらいなら、本人が運転席に座った写真を載せて欲しかった・・。

ここまでご覧になって分かるように、貴ノ花、アメフト美女共にクルマとは別撮りで、クルマと絡んでいる写真は全く無し。
特に貴ノ花の写真については、通常の相撲場所で撮られた写真を使っているらしく、カタログの為の撮影だったかどうかも怪しい。
やっぱり貴ノ花版には、運転席でニッコリと微笑む写真が欲しかった。
アメフト美女は、サンバーのボンネットの上に寝そべって、流し目をしながらウットリと車体を撫でる仕草をして欲しかった。

微妙な違いとして貴版では「気分よく稼げます」としている所が、アメ版では「気分よく働けます」となっているところも気になるが、それこそ下世話な話になりそうだからやめておく。

このページは双方とも全く同じで変更がない。
唯一「軽最大という表示は昭和○○年○月現在」の年月が変わるのみ。

ところで貴ノ花がイメージキャラクターとして採用されていた期間についてだが、剛力サンバーが登場したのは1973年(昭和48年)2月、アメフト美女にキャラクターが変わったカタログの発行が、1974年(昭和49年)2月ということで、丁度1年だった模様。
今回紹介している貴版のカタログは、1973年(昭和48年)10月発行。ちょうどマイナーチェンジを受けた時点のもので「新・剛力」を名乗るようになったのは、この時からだったはず。
つまりこのカタログは4ヶ月程度しか使われていないことになる。

貴ノ花が現役を引退したのは1980年(昭和55年)、同居していた祖父が相撲好きで、よくテレビで一緒に見ていたものだが、私は特に相撲好きというわけではなかったので、貴ノ花のことは全く覚えていない。
そんな私でも覚えている力士といえば、なんと言っても千代の富士。
後は、にばーいにばーいの高見山とかかね。
もっともこの二人は、世代が少し後になるから、記憶として覚えているからかもしれない。
現役当時は「角界のプリンス」と呼ばれ、絶大な人気を誇ったらしいが、私の記憶では晩年のゴタゴタしたイメージばかり残っていて、気の毒な気もする。
唯一の古い記憶では、時刻表の巻末広告に、親子そろって(藤田憲子、若・貴兄弟の4人)並んだ写真が載っていたことを覚えている。
温泉旅館の広告で、座った状態で、そろって軽くお辞儀をするような仕草の写真だったと思う。
若貴兄弟がまだ小中学生の頃で、もちろん無名の時期のこと。ただ、肝心のその写真が出てこないし、ネット上でもそれらしき記事が出ていないので、何かの記憶ちがいかもしれない。

続いてキャラなしのページ。
アメ版では、何故かパネルバンのページが差し込まれており、貴版とはページの順序が異なってしまっている。
パネルバンは登場当初から設定されており、逆に今まで掲載されていなかった方が疑問なのであるが、どういった事情があったのかはよく分からない。
ダイヤペットチェリカのミニカーが売れに売れたので、実車もあやかってページを増やした・・、というわけではないな。

そして最終ページ(正確には諸元表があるが)、貴版ではパネルバンのページがないが、商用車のカタログでよく見られる積載量の紹介ページが入れられ、総ページ数は両者とも同じになっている。
毎月勝越しといきましょう」というコピーは貴版ならでは。
具体的な積載量は、ドラム缶6本、畳16枚、石油缶35缶等等・・。
このページがアメ版で省かれたこと、後期ではパネルバンページが優先されたこと。
どういった事情があったのかはやっぱり分からないが、営業サイドの判断なんですかね。

ここまで見てきて、勘の良い方ならお気づきのはず、貴ノ花の写真は表紙の土俵入りから塩をまいて、勝ち名乗りを受けるところまで、時系列的に掲載されている。
肝心の取り組みがないところは、権利的に難しかったんだろうなあ。
アメフト美女は「剛力」と大書きされたユニホームで仁王立ち。
この当時らしいというか、西洋人風にも見えるちょっと濃い目のお顔ですが、アップで見るとなかなかの美女です。
スバルには、良い娘いますぜダンナ。

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